麻豆AV

解题:佐久间澄関係文书目録

执笔者

平下义记

はじめに―佐久间澄氏の経歴と资料群の概要―

 佐久间澄(1910~1991)氏は、明治43(1910)年に北海道根室市に生まれた。広岛文理科大学では物理学の素粒子论を専攻し、昭和10(1935)年3月に物理学科を卒业した。その后、昭和10年5月に広岛文理科大学副手、同年12月に助手、昭和11年4月に広岛高等师范学校教諭を経て、昭和14年度からは広岛文理科大学の讲师(物理学)となり、16年には助教授に昇进した。
 この间佐久间氏は、波动几何学の立场から物体の运动方程式についての研究を进め、惑星轨道の分析结果に基づき太阳系论、宇宙论に顕着な业绩を挙げた。その成果は戦前期日本の理论物理学における代表的研究として高く评価されている。
 さて、昭和20年8月6日の原爆投下时、佐久间氏は広岛文理科大学へ出勤し被爆した。幸い大学の塀により爆风の直撃を免れ自身は軽伤で済んだものの、原爆被灾を目の当たりにしたことによって、佐久间氏は戦后、平和运动に深く関わっていくことになった。
 佐久间氏は、昭和34年から平成3(1991)年までの间、原水爆禁止広岛県协议会の理事长をつとめ、共产党系の原水爆禁止运动を支え続けた。また佐久间氏は、「学问と平和を守る大学人の会」の会长职も长くつとめた。「大学人の会」とは、昭和28(1953)年に発足した広岛市内の大学に所属する研究者の集まりであり、原爆と平和に関する研究とその成果発表を目的としたものであった。
 このように佐久间氏は、长期にわたりヒロシマの平和运动の中心的人物の一人として活跃していたが、平成3年9月28日、心臓発作のために80才で急逝した。
 本资料群は、上记のように佐久间氏が平和运动に携わる过程で、长年にわたり蓄积してきた文书类である。生前より寄赠を前提として佐久间氏自身が书类の整理を行っていたこともあり、本史料群は平成3年12月にご遗族より原水爆禁止広岛県协议会事务局へと寄赠された。これを受けて原水爆禁止広岛県协议会事务局では仮整理を行い、保存?活用してきた。

1. 広島大学文书馆の受入経緯

 上述のように「佐久間澄関係文書」は、平成3年12月以降、原水爆禁止広島県協議会事務局が管理していたが、事務所の移転のため継続的に所蔵することが困難となった。こうした状況を受けて、平成16年8月に楠忠之氏(元原水爆禁止広島県協議会代表理事?元広島県議会議員)より広島大学文书馆に対して資料受け入れの打診があった。その後、楠氏が関係団体の意見調整を進められた結果、平成17年9月に原水爆禁止広島県協議会事務局から「佐久間澄関係文書」が寄贈された。その時の分量は段ボールで25箱であった。さらに平成19年5月には、段ボール4箱の追加寄贈を受けたのであった。

2.&苍产蝉辫;整理経纬

 文书馆では、平成18年10月より整理作業を進めていった。その際に寄贈時の原秩序を尊重して、段ボールに附された通し番号に即して目録を作成していった。しかしながら仮目録の完成後、あらためて文書の排列を確認したところ、形態?内容?年代、いずれの指標をとっても箱ごとに秩序だった整理がなされているわけではないことが判明した。このため原秩序を目録に反映させるとかえって混乱を生じるため、改めて資料の形態および内容に即して目録を再編成することとした。(ただし「元箱№」の情報は削除せず、目録上は寄贈時の排列を復元できるように配慮した)。
 再编成にあたっては、资料の形态に応じて大分类を设定し、さらに内容に応じて中分类を作成した上で、それぞれ作成年月日顺に整序して目録採録していった。また、一部の文书(14点分)については水濡れの痕跡ならびにカビの発生が认められたため、再编成の际にカビ除去?クリーニング作业を実施した。

3. 主な内容

(1)「书类」

 「书类」として採録した资料の多くは、佐久间氏自身によりテーマ别に整理されていたと思われる。书类を入れた封筒の表面左端に縦书きで表题が书き込まれている场合が多く、その笔跡が同一であることから、そのように推测される。内容的には、原水禁运动や、世界平和评议会、被団协などの资料が多く含まれている。このため内容に応じて「书类」には中分类を设定した。

(2)「原稿」

 「原稿」として採録したものは、无记名のものが多かったため、作成者不明である。平和运动に関わって佐久间氏が执笔した原稿の可能性もある。

(3)「新闻?スクラップ」

 「新闻?スクラップ」として分类したのは、新闻切抜や関连书类を一括してテーマ别に封筒に入れて整理した资料である。被爆者援护、军缩问题、非核都市宣言などに関する记事が中心である。

(4)「小册子」

 「小册子」として分类したのは、册子形态の不定期刊行物、かつ、页数が少ないなどの理由で「定期刊行物」や「书籍」に分类するにはそぐわないと判断した资料である。内容的には、国际政治に関する雑誌记事の抜刷が多い。

(5)「定期刊行物」

 「定期刊行物」は、定期刊行されている资料である。内容的には、「原水协通信」、や広岛大学原爆放射能医学研究所の资料调査报告书などが中心である。

(6)「书简」

 「书籍」として採録したのは、册子形态の不定期刊行物である。原子力问题や平和问题に関する资料が主なものである。

おわりに―今后の见通し

 以上、「佐久間澄関係文書」の資料的性格について解説してきた。佐久間氏は被爆地ヒロシマにおける平和運動の中心的な担い手であったが、その佐久間氏が集積してきた「佐久間文書」は、整理の上、広島大学文书馆の「平和学術文庫」に保管されている。そして、同文庫には平和運動を「報道した側」である中国新聞社の金井利博氏?平岡敬氏?大牟田稔氏の関連資料もある。これらの資料群を組み合わせることにより、広島の戦後史がより立体的に捉えることが可能となってくるだろう。「佐久間澄関係文書」を活用した研究の進展が期待される。


up