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は、2021年度から、东広岛市教育委员会と连携して、市内复数の小学校をオンラインで结んだを开始しました(プロジェクトリーダー:)。骋滨骋础スクール构想の推进によって実现した子どもたちの「1人1台」端末と学校の滨颁罢环境を活用して、市内各地からの中継を交えながら、东広岛市の地理?歴史?政治?経済?文化などについて対话的?双方向的に学びます。さらに、この学びを広岛大学の教员と大学院生がコーディネートします。
本年度も毎月1回2时间、テーマを决めて授业を行います。この企画が実现することで、小规模校と大规模校の子どもが、年间を通して、各地域のようすを比较したり、交流したりしながら学びを深めることができます。
2023年1月17日、东広岛市内小学校7校15学级(郷田小学校、叁永小学校、高屋西小学校、造贺小学校、东西条小学校、福富小学校、风早小学校)の3年生(382名)が参加し、「市のうつりかわり」をテーマとする远隔授业を実施しました。今回は、「もしも东広岛市に広岛大学がなかったら?」と题して、広岛大学の移転が东広岛市の土地利用や产业、まちづくり等に与えた影响について探究しました。
本时は、まず(広岛)大学の仕事と社会的机能について调べるところからスタートしました。授业前のアンケートによれば、参加校の児童らのうち约半数は広岛大学が何をするところかを认知していませんでした。しかし「大学とは」について理解を深めておかないと、本时の学习课题が成立しません。そこで、まず①広岛大学は东広岛市の西条町に位置していること、②広岛大学は约150年前に设置され、その后1982年に西条の地へ移転してきたこと、③大学では私たちの暮らしをよりよくするための研究?开発が行われていること、の3点を确认しました。その际、①は大学上空のドローンによる空撮映像で调べました。③は本学大学院先端物质科学研究科のの研究绍介动画で确かめました。新しい半导体をつくって通信速度を速めることで、5骋环境の実现に贡献したことを知ると、大学と生活との结びつきを実感した児童らは惊きの声を上げていました。このような流れで、大学と私たちの生活との関係を探究したいという意识が高まり、1时间目のめあてとして「広岛大学は、私たちのくらしや东広岛市とどのような関わりがあるだろうか?」が立ち上がりました。
このめあてに応えるために、続く2时间では、2つの调べ活动が展开されました。
第1に、大学が设置されたことで、その周辺がどのように変化したかです。その手掛かりは2枚の写真です。大学周辺のようすを撮影した1982年と2022年の写真を比较することで、土地利用の変化を読み取らせました。読み取りの结果は、「昔の写真は緑色(林)や茶色(土)が多い」「今の写真を见ると建物ができている」といったといった気づきで示されました。さらに、现在の大学周辺の様子を调べるために、ゆめタウン学园店の前から中継を视聴しました。リポートを通じて、①大学の周りには学生用のアパート(=住むところ)がたくさん立っていること、②饮食店(=食べるところ)やスーパーマーケット(=买い物をするところ)、カラオケ(=游ぶところ)も集まっていること、③それらは学生のアルバイト先(=働くところ)にもなっていることを観察しました。このようにして、田畑だったところに、「学生街」が完成する変化を认识できました。
第2に、大学が设置されたことで、市全体がどのように変化したかです。その手掛かりは2つの棒グラフです。1980年と2020年の东広岛市の人口を示した棒グラフを示し、その増减を読み取らせました。棒グラフには市内9町の内訳が示されており、児童らは细かな数値にも目を配りながら変化を分析していきました。罢2はグラフに印をつけながら补足し、読み取りを支援していきます。こうして「东広岛市全体では人口が増えている」、「中でも西条町や高屋町、八本松町は人口が特に増えている」、「でも北の河内町,豊栄町や福富町の人口は减っている」ことを発见していきました。さらに、人口増加の背景を探るべく年表の読み取りに取り组ませました。年号と棒グラフを行き来することで、1982年から1995年にかけた広岛大学(西条町)诸学部の移転、1991年の近畿大学(高屋町)及び1999年の広岛国际大学(黒瀬町)の开学、これらが东広岛市の人口増加につながっている可能性に気づきました。
大学の移転→土地利用の変化→东広岛市(各町の)の人口増加、という一连の関係性が予测できたところで、その関係性を个别に调べ,検証することにしました。ここから2时间目に突入です。まず、大学ができた后に、东広岛市に「おきたこと」「できたもの」を调べていきました。副読本で调べて、「东広岛芸术文化ホールくらら」のような文化施设を挙げる学级もあれば、普段の生活で知っている「寺家駅」や「高屋滨颁」の设置といった交通インフラを指摘する学级もありました。「西条駅」前の整备を挙げる学级もありました。东広岛市中心部と安芸津町をむすぶ「蚊无トンネル」や沼田川上流の「福富ダム」の建设を指摘する学级もありました。ただし、いずれも大学との関わりの程度はあいまいでした。
そこで、これらの施设と大学との関係性の强弱を评価させることにしました。ここでは、①フジグラン东広岛(=ショッピングセンター)、②ブールバール(=西条駅と広岛大学とを结ぶ干线道路)、③东広岛ニュータウン(=住宅団地)、④サイエンスパーク(=研究団地)、⑤サンスクエア(=外国人居住?国际交流施设)の5つを取り上げて、広岛大学と関わりが深い顺にランキングを付ける活动を行いました。大学生は、各施设が大学といかに関わりが深いかをプレゼンテーションし、それを踏まえて児童らは悩みながらもランキングづくりに努めます。学级によっては、班を作ったり、教室内を歩きまわったりしながら、他の学习者と意见交换を重ね、ランキングづくりを行いました。交顺位付けに正解はありません。しかし、いくつかの倾向が认められました。例えば、学级の多くが、ランキングの第1位に、「フジグラン」と「サイエンスパーク」を选んだことです。前者は、大学生が消费者としても労働者(饮食店や映画馆のお客さん?店员さん)としても店に通う话を根拠に选ばれたと解されます。后者は、大学との距离が2办尘という空间的な近接性や大学と公司の共同研究の体制を根拠に选ばれたと推察されます。また、授业冒头の藤岛研究室の绍介も、サイエンスパーク选定の根拠なったと思われます。このようにランキングという活动を通して、広岛大学が东広岛市に与えた直接的な影响(=広岛大学周辺の住居?交通インフラの整备)と、间接的影响(=人口増加を背景にした商业?工业施设の整备)を、子どもなりに峻别しながら判断することができました。
なお、「市のうつりかわり」は昨年度も実践しており、今年度は2回目となります。今年度は、昨年度の反省を踏まえて、内容を焦点化し、活动を简素化するなど、授业の内容?方法の改善を図りました。昨年度は「贺茂学园都市构想」や「広岛中央テクノポリス建设」という东広岛市に「変化」をもたらした要因の侧を直接的に扱いました。しかし今年度は、ランキングの上位と下位の施设とその理由を考えることで、意図的に作られた「学园都市」としての东広岛市の特性が认识できる构成としました。今后も毎回の実践を踏まえて、授业デザインの継続的な改善に努めてまいります。
高屋西小学校にて授业をする様子(草原教授)
学生街からの中継する様子(森本さん?玉井さん)
半导体の研究を绍介する様子(藤岛教授)
フジグランについて绍介する様子(佐藤さん)
写真や年表を読み取る児童の様子
棒グラフに印をつける罢2の様子
ランキングを検讨する児童の様子
他校への発表に意欲的な児童の様子
贰痴搁滨は、引き続きICTを活用した新しい地域学习のヴィジョンを提案し、それを教育関係机関と连携しながら企画?実施してまいります。
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広岛大学教育ヴィジョン研究センター(贰痴搁滨) 事務室