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は、2023年7月28日(金)に定例オンラインセミナー講演会No.147「金曜に夜更かし-セルフスタディを語り合う-(4)日本语教育?日本语教師研究?日本语教師教育研究者にとってのセルフスタディの可能性」を開催しました。大学院生や学校教員を中心に27名の皆様にご参加いただきました。
「金曜に夜更かし-セルフスタディを语り合う-」は、日本の教师教育において徐々に広まりつつある研究方法论であるセルフスタディに注目し、日本の教师教育者はどのような経験や研究背景からセルフスタディに兴味?関心を持ち、どのようにそれを実践?研究しているのかを考えるセミナーシリーズです。セミナーを通して、セルフスタディに関心を寄せる研究者や教师教育者の交流の场になることを期待しています。
シリーズでは毎回、セルフスタディの実践や研究を行われている方をゲストにお招きし、実践?研究上の悩みや葛藤、あるいは喜びなどを率直に语り合います。セミナーは司会者がゲストへセルフスタディに関する质问を行う「公开インタビュー」の形式で进行し、视聴者の皆様からの质问にも応えます。
なお、本セミナーシリーズは、贰痴搁滨のメンバーである教授やスタッフである大坂游氏(周南公立大学?贰痴搁滨教育研究推进员)が参加する、科学研究费助成事业(研究课题/领域番号:21碍02472)「先生の先生はいかに自己成长をするか:教师教育者の専门性开発の体系化に向けて(斋藤眞宏代表)」の活动の一环としても実施されます。
シリーズ第4回となる本セミナーでは、武庫川女子大学の上田和子氏(日本语教育学がご専門)をゲストにお招きして、公開インタビューが行われました。
はじめに、司会の大坂氏より、上述したような本セミナーの趣旨が説明された上で、登坛者のへの公开インタビュー「私とセルフスタディ」が行われました。

セミナーの趣旨説明をする大坂氏
【以下、上田氏へのインタビュー内容の骨子。编集を加えた要约版であり、当日の発言内容や展开とは异なるところがあります。】
(Q.どういう経纬でセルフスタディに出会ったのか?)
大学を卒業した後は、国語の高校教師として古文や漢文を教えていた。一方で、現代国語を教えることに苦手意識を覚えていた。そのような中で、ある日広告を目にして日本语教師養成講座に参加することにした。これが私と日本语教育との出会いである。今思い返せば、「日本语教育を学べば現代国語を教えるのに役立つだろう」「生徒と深く関わる教職は私には到底できない。一方、日本语教師は、日本语を教えれば十分だからやりやすい職業だ」といった誤った見方をしてしまっていた。当時の私は、日本语教育について何もわかっていなかった。
日本语教育に携わる中で大きなターニングポイントになったのは香港での生活経験であった。香港大学文学部日文系で2年間、続いて香港城市大学応用言語学科で6年間、香港で日本语を教える機会に恵まれた。日本语教師は発展途上国で日本语を教えるイメージがあったが、バブル期の大都会?香港はそのようなイメージを払拭した。
香港では,特に次の2つの経験が印象に残っている。
一つは、外国語学習経験である。当時の香港はイギリスの植民地支配末期だった。広東語話者が90%以上いたが、それ以外の言語の使用者も集っていた。まさに多言語社会であった。そのような中で、日本语の知識を使いながら外国語について学ぶことによって、私の知的好奇心は大いに刺激された。
もう一つは、日本语指導経験である。言語と社会が密接に結びついていることを実感させられた。例えば,ビジネスジャパニーズを教えたときには、「例文には『課に持ち帰って検討する』と書いてあるが、その場で判断しないのはどうしてですか」と学習者から問われたことを思い出す。個人主義的な香港と、集団主義?組織主義的な日本の社会の仕組みの違いを体感した瞬間だった。
そのような、返還直前の香港の様子をエッセイとしてしたためたり、自己の教育実践を学術論文として投稿したりするなかで、次第に日本语教育研究に目覚めていく。香港から帰国した後は、国際交流基金関西国際センターを経て、2009年に現在の勤務先(武庫川女子大学)に就職した。将来の日本语教師を育てるようになり、学生と自分の姿を重ね合わせる中で「日本语教師とはどのような職か」「私たち日本语教師はどのようなことを経験してきたのか」について研究したくなった。科研費の申請に向けて、当事者研究やピアリサーチに関心を寄せるなか、2020年度異文化間教育学会特定課題研究第3回公開講演会(2021年3月)講演会でセルフスタディに出会った。
(蚕.どのようなセルフスタディに取り组んだのか?)
言语ヒストリーという方法で自分たちの言语习得の経験を研究している。これまでに、私がどのように异言语を学んできたのか?教えてきたのか?使ってきたのかを自伝的に记述し、それぞれの成果物を研究グループのなかで互いに検讨しあった。
もともと対面で研究会を行うつもりであったがコロナ祸に直面した。オンラインで会议を行うこととなり、结果として1年间を通じて当初の予定よりも频繁に议论を行うことができた。研究会では、他者の経験を批判的に吟味することもあれば、他者の経験を共感的に受け止めることもあった。研究会での同僚の存在は、セルフスタディにおけるクリティカルフレンドの概念と重なるところがある。
研究会の成果をいかに公表するかが课题となった。データを文字に起こすと、その量は膨大になった。分析するための视点を试行错误している。
(Q.セルフスタディを通して、どのような示唆が得られたか?)
1つは、香港での学習経験がもつ意味を再認識したこと。香港では、日本语を教えるとともに、私自身学習者として外国語(広東語や英語)を学んでいた。その学びを振り返ることで、自分が母語の日本语をどのように学んできたかを省察することにつながった。言語ヒストリーにより、そのことが表出した。
もう1つは、言語ヒストリーのなかで、感情に関する表現が思いのほかたくさん出て来て驚いたこと。例えば、データ分析をしてみると、「自信がなかった」や「不安だった」といった語りが表れた。研究会で語っているときはさほど意識していなかったが、言語の学びや人との出会いのなかで知?情?意のうち情が大事になることを実感した。これら2つをふまえると、日本语教育の現場や日本语教師の仕事を描くのに、言語ヒストリーという方法は有用に思われる。

自身の言语ヒストリーについて语る上田氏
以上の発表を受けて、20分のディスカッションが行われました。
中でも、外国人を対象に日本语を教えることから、日本语話者に日本语の教授法を教えることへと仕事が移行する際の葛藤?悩みについて意見交換が行われました。上田氏は、自分と学生との間の距離感に悩んだ経験を明かしました。例えば、「私はジュースを飲みたいです」「私はジュースを買いたいです」という教科書の例文を上田氏や外国人学習者は欲求?願望(~したい)の文法を学ぶための文として受け止める。一方、日本人の学生は、これを敬語ないしは主語?述語を学習するための文として捉えてしまう。こうしたギャップに上田氏は大きなショックを受けたといいます。しかし、言語ヒストリーを通じて、自分と学生の言語観?言語教育観に差異があったことを意味づけることができたと成果を語りました。
さらに、上田氏の科研費研究グループのメンバーからも自身の言語ヒストリーが語られました。海外で日本语を教えていたときに異国の言葉を学んだ経験、共通語を用いて生活を送る中で故郷の方言が喪失してしまった経験が述べられ、日本语教師に内在する複言語性が明らかになりました。以上の議論を踏まえ、草原教授は、複雑な言語体系の中で実践を営んでいるからこそ、言語教師は特に自己の言語経験が重要になることを指摘しました。

言语ヒストリーについて议论する草原教授

セルフスタディについて述べる斋藤氏
今后も贰痴搁滨では、「教师教育?授业研究ユニット」を中心に、授业研究を轴に教师教育を変革するための方略を検讨してまいります。
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広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI) 事務室