旧司法试験を受験していたころ、ゼミ仲间に、なかなか豪胆で人间的に非常に魅力のある男がいました。当初は、议论をしていても、概念定义が定まらず、原理原则论もざっくりとした説明を繰り返し、论理が深まらないこともしばしば。过去问を解いて皆で答案を読み合わせると、あらぬ方向で问题提起がなされ、あとは谁もついていくことのできないオリジナルな世界が広がることもありました。受験仲间でありながら、「司法试験合格が目标でなければ、とても面白い人物なので、彼にしかできない、何か社会に大いなる贡献をするだろうな。」と无责任なことを考えていました。にもかかわらず、彼は、私の颜を见ると「自分は絶対に合格しますからね。地元のヒーローになるんです。」などと元気よく言うので、「そうだね。一绪に受かろうね。」「その意気で勉强も詰めて顽张ろうね。」と返します。私はすぐに颜に出てしまうので、苦笑いを浮かべていたのでしょう。彼は私の不安を豪快に笑い飞ばしていました。
そのうち、彼が急にゼミに颜を出さなくなったので、「諦めたのか?」と一抹の不安を抱いていました。2か月ほど経って、ゼミにようやく彼の笑い声が戻ってきました。「どうしていたの?」と寻ねると、「いや、前は基础がよくわかってなかったから、议论を聴いていてもチンプンカンプンで、力がつかないと思った。この2ケ月で全教科の基础をもう一度彻底的に勉强しなおしました。すごいでしょう!」との回答です。どれほどのものかとゼミでいろいろと质问してみると、原理原则や基本概念はすらすらと述べるのです。
ただ、その基础部分から问题解决のために论理を展开する段阶になると、それまでの元気がどこへやら、黙り込んでしまいます。论理展开についてこれないのかと思い、ゼミのメンバーは丁寧に论理の积み重ねを検讨するようにし、ゼミの最后に论理の流れを彼にまとめさせます。彼は、検讨のなかで示された论理展开を鸚鵡返しに言うので、あえてそのキーとなる部分につき「それどういう意味?」「なぜそうつながるの?」などの质问を浴びせます。彼は、これらの质问への回答を笑いで误魔化していたのですが、そのうちとことんメンバーの论理を自分で追いかけることで论理の展开を押さえ、ついにはメンバーが説明するのを途中で遮って、そこから结论までの论理を自分で组み立てて発言し、その是非を问うようになりました。そのときの口癖が「みなまで言うな。」でした。
すべての説明をさせずに自分がそれをやってみる、その论理の组み立てを评価してもらうことで、彼は确実にその実力を伸ばしていったと思います。彼が意识して行ったかどうかはわかりませんが、「みなまで言うな」は、彼がメンバーの论理を追ってわかったような気になったときに口を突いて出るのです。この口癖は、自分が本当に理解しているのかどうかを自らが确认する実験のスタートであり、自分の理解のレベルを自分の感触でつかむためのリトマス试験纸を入手しようとしていたのでしょう。これを获得してからは、彼は、ゼミで学ぶよりも、ゼミの予习(自学自习)段阶で十分な论理的思考力を养っていたと思われます。彼は検察官に任官し、现在も地元のヒーローとして活跃しているでしょう。
次回は、「省察」です。
