ギャンブラーの破灭に関わるマルコムの言叶によれば,确率论としては,悪いことが起これば続けざまに悪いことが起こる,逆に,良いことが起きはじめると,良いことが続けて起きる,ということです。
悪いことが起こりはじめたときには,それが続けて起こるかもしれないと考えて,これまでよりも少し慎重に状况を见极める,自重しながら事に当たるのです。悪いことが起こったがゆえにそれを焦って取り返そうとすればますます伤口を拡げてしまい,取り返しがつかない事态に至りかねません。まさにギャンブラーの破灭です。
事を见定めて自重しながらチャンスを待ち,チャンス到来となれば确実にそれをつかむことが重要です。「チャンスの女神は前髪しかない」という西洋の谚もあります。チャンスの女神が自分に向いてやって来るときにつかまないと,通りすぎてからはつかめないということです。
悪いこと,负けにこだわることなく,次に巡ってくる,良いこと,チャンスをつかむには,学び,努力し,自らを成长させることが肝要だと思います。悪いことが続くというのも,见ようによっては,よい縁を得て良いことが来る种が尽きたともいえるからです。であれば,次のチャンスのために种をまくこと,学ぶことが重要です。
チャンスが続けて来るようになれば,皆さん忙しくなるのが通常です。じっくりと学んでいる时间は取りがたいでしょう。それでも时间を作る术を身につけていれば対応できます。忙しい人ほど时间を作るのがうまいと言われますが,それもおそらく学びの成果です。どうしても学びが浅くならざるを得ない状况でなすべきことをなさざるをえない时には,学びの不十分さを,思考力,论理力,创造力や想像力でカバーする。これらの能力も学びのなかで锻えられるものです。悪いことが起こり,続くときにはもちろん,良いことが起こる时にも,学び続け,能力を高め,自分を成长させることが,大事なのです。
学び続けるためには,惯れを捨てなければなりません。资格を取るとか,高い理念を持って学び始めたはずなのに,それでもしばらくするとだんだん惯れてくる,その惯れを戒めない人が少なくありません。年に一回の资格试験に挑戦する场合,失败すれば试験に向けた勉强をもう1年,そのときに同じ勉强を繰り返していると感じて,これもやった,あれもわかっていると,惯れで判断します。そして,学ぶことに高をくくるようになっていきます。しかし,高をくくってしまったならば,そこからはもう何も得られません。学びは失われます。
学びも心构え次第です。自分ではもう,わかってしまったと思っていても,自らの心を新たにしてぶつかっていったならば,新しい発见,気づきがあります。自分が陈腐な気持ち,古くなって硬直した気持ちでいたならば,新しいものに出会えない。常に自分が新しい心でいなければならないのです。新しいものを得たいと思ったならば,常に新鲜な惊きをもって感动していなければならない。
学ぶ侧に当てはまることは教える侧にも通用します。これまで何度も繰り返し読んだ基本书や判例でも,新しい角度から讲义をしようと思って,新しい気持ちで,これをじっくり読んでいくと,今まで気づけなかった深みや拡がりに気づき,思わず「そうだったのか」と膝を打ち,先达に感谢するとともに,后辈に学びの刺激や歓喜を伝えられると思うものです。知识の伝授も大切ですが,教坛に立つ者はそれ以上に学びの実感を伝えることが重要だと思います。授业担当者の适格性,コンピテンシーは授业をすることに対する惯れがないかのチェックとも言われます。ですから,常に新鲜な気持ち,新しい心构えで向かうことです。
さて,良いことが起これば,それがどんなに小さく思えても,チャンスが自分に向いたのだから,そのことに感谢し大事に育てていく。このときに不遇に学んだことが活かされます。良いことが起これば続くのですから,せっかくチャンスが巡ってきたときに不平?不満や愚痴をこぼせば,その隙にチャンスの女神は目の前を通りすぎてしまうでしょう。実にもったいない。
良いことがいくつか起こるなかに悪いことが混じり込んできた时には,调子に乗って高をくくり自分のことばかりを考えていないかを反省する。そして,他人の役に立つことを考えて実行する。いいことの続く流れが途切れてしまわないように。
次回は,「雨降って地固まる」です。
