本年最后のコラムの更新です。本年も法务研究科の教育改革にご支援?ご协力を赐りました皆様に心より感谢申し上げます。诚にありがとうございました。
最近、「天才の闪きを科学的に起こす」というサブタイトルのついた本を読む机会がありました。「闪き」がいかに起こるのかを最新の脳科学に基づき解明し、闪きを得るプロセスを起こりやすくするための方法论が展开されています。闪きが天启と言われることがあるとすれば、その科学的分析には兴味がありました。ソクラテスもその友人が「ソクラテスより贤い者はいない」との神託を得たことから、「いかに」の説明にとどまる研究から、「なぜ」の问いに答えを求める道を歩み、その神託の意味が「无知の知」にあることを认识したと言われていたことも头をよぎりました。
この本によれば、闪きを生む4つのプロセスの1つである「突然のひらめき」は、まだ十分に科学的には解明されていないようですが、「歴史の先例とオープンマインドとがクリエイティブな火花を散らしながら组み合わさる瞬间」であると言われます。オープンマインドが重要な要素の1つですが、その状态を得るのに「フリー?ユア?マインド」という手法が用いられます。これには东洋哲学=カルマとダルマの仏教思想が方法论として活かされていることに惊きました。
仏教は「教え」ですが、仏法は方法论でありシステムです。仏法を少しかじったのは大学时代でしたが、方法论がすべてであるという意识を强く植えつけられました。仏法は他の宗教とは违って、人间が仏陀になる方法を示すマニュアルです(例えば、キリスト教では人间が神なることを目指すのではなく、神は信仰の対象であると思います)。凡夫が仏陀になる方法を修錬して仏智を得ることを目的とします(ですので、东洋「哲学」と表现されることには违和感があります)。仏智がいかに得られるのかは私にはわかりませんが、縁起の法の理解は知识であって、智慧とは异なると言われます。智慧は、人生を成立させる真理?原则(おそらく縁起の法)を体得し自らの行动をコントロールできるものと説かれます。
仏陀となられた釈迦の逸话です。盲目の弟子が针に糸を通すことができないので「谁か、糸を通してほしい」と声をかけたところ、谁かがスッと针と糸を取って通してくれた、その弟子がお礼を述べるとその人は釈迦であった、釈迦は「仏陀は徳を积むことがいかに大事であるかをよく知っている。徳を积むことにもっとも热心である。」と语ったとのことです。
仏法を学んだときに、虚心坦懐に1つ考えたことがあります。それは、凡夫が修练して仏智を得られるのであれば、どんな人でも知的能力を飞跃的に高めることができるのではないかということでした。知识を授けることにより知的能力を高めるという方法は合理的ですが、急速に変化する现代社会に対応できる人材が社会のさまざまなところに存在することが求められるとすれば、この教育法では不十分であると思います。この教育法の対象は知识が蓄积できる人ですので、それが苦手な人の知的能力を高めることは难しいでしょう。现在はこの教育法の弱点を克服する方法论が求められていると思います。
最后になりましたが、来る年が、皆様、ご家族様にとって幸多きことを祈念いたしております。
次回は「2018年 新年の抱負」です。
