麻豆AV

第29回  体系化

 平成30年4月、新年度が始まりました。本研究科も、大いなる志を持った新入生を迎えました。新入生がその梦を実现できるように、教职员一同、その勉学を支えるべく最大限の协力を惜しまず、また、自らが学びの主体としてその范となるべく努力してまいります。
 
 新入生の皆さんには、法科大学院での学びにつき、これまでの勉学の意识や态度をもう一度见直し、新たな意识づけの下に努力を続けることを期待します。

 法科大学院において法曹を目指し勉学に励むにあたって、2点、留意してほしいことがあります。一つは、知识の体系化を図ることです。大学学部では多くのさまざまな専门知识を得てきているでしょうし、小中高校においてもレベルの高い知识を学んでいます。ただ、知识はそれを得たことで学んだことにはなりません。学びは、その知识から得られる本质をつかみ、その本质を用いてこれまで得た知识を使い、新たな発见や知识を获得していきます。これにより旧知の枠を超えて未知の课题に対応する智慧を得るのです。そこまで学びは続くのです。この智慧を得るプロセスにおいて、これまでの勉学?学习で不充分ではないかと思われる点が「体系化」です。

 「体系化」は、知识と知识とをつなぎ合わせてその関係性からその全体をあるいはその背后にあるものを考えてつかむという知的作业です。この作业は时间がかかる场合も多く、「よくわからない」という感触にとどまってしまうことも多いために无駄をしたかのように思われ、そのうちにこの作业をやめてしまいます。昨今はスピードと効率性が异様なまでに强调され、知识の修得も知识を知ったことで満足し、さらに新たな知识を求め、より多くを知ることで误魔化してしまうようです。

 误魔化すというのは厳しい评価です。知らないことには対応できない、いざ自分で考えよと言われると、どう考えてよいのか、その术すらも浮かんでこないというお手上げ状态にしばしば陥ります。そのような场面に出くわすと、とりあえず知っていることを述べることで解答したふりをし、真に问われていることを自分の都合で无视します。知っていることを述べるといっても、せいぜいキーワードとなる言叶を抜き出しつなぎ合わせてまとめているので、その解答には他人を纳得させる论理がなく、「顽张っている」と思わせることさえありません。それでは折角の努力が、投入した时间とエネルギーが无駄になってしまいます。なすべきことが违っていたので「やむをえない」と覚悟があればまだ次に期待できるのですが、その覚悟もなく、自らの勉学が本质の把握に及んでいないことに気づいていないのですから、次もまた同じことの繰り返しです。気づかぬ本人はそれでそれなりの満足を得ていくのかもしれませんが、その潜在的能力が埋もれたままになることは残念に思えます(余计なお节介か???)。ソクラテスが対话を通じて「无知の知」に导こうとしたのはそのような想いがあったのかとも思います。言叶のうえで知ったかのようにふるまっても、その本质に至っていなければどこかで误魔化さざるをえないでしょう。それに耐えられない人は怒りをぶつけるでしょう。逆に、「なぜ」と问う思考癖のある人は本质を掴めていないから「わからない」ので、その思考结果をさらけだすことが次へのステップになりうると考えられます。また、この段阶でも、思考のプロセスやフレームはあるでしょうから、误魔化さずに何かの回答を示すことはできるはずです。问われたことに真挚に取り组んで回答する姿势は十分に评価されるでしょう。

 法科大学院では、授业の场が知识の授受で済まされず、その背后にある本质(と思われるところ)に触れる机会を提供し、受讲生が短时间でも知的追求を体験し、その重要性を认识し自ら意识づけて「学ぶ」ことを教え育てる必要があると思います。

 次回は「もう一つの留意点」です。


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