「地元のヒーロー」君の続きです。彼が自らを省みて、自分には原理原则や法的な切り口の的确さに弱点があることを素直に认め、一人その克服に取り组み努力した顷から、彼は変わったのだと思います。冷彻に自分自身を観察し分析して弱点をえぐり出すことができる反省の技法をゼミの中で一人遅れていく自分と格闘して手に入れ、それを克服するだけの强さを自らの陶冶により锻えたのでしょう。彼はこの时まさにプロフェッショナルへの第一歩を踏み出したのだと思います。
法曹になるのに基本が理解できていないのであれば、それを何とかするのは当たり前だという意见もあるでしょう。谁でもそれが良いと知っていることでも実践できないことは山というほどあるのではないでしょうか。私自身も含めて、それができていないことを认められず、基本を欠くがゆえの过ちを押し通したり、何だかんだと理由をつけて、もう一度やり直すことを避けているのではないでしょうか?
スピードと効率性に基づき成果を求められることに惯れると、程ほどの结果に甘んじて、次を追いかけるようになりがちです。立ち止まって现状を冷静に见ることも、歩んできた过去を振り返ることも、次の结果を出す上では时间の无駄に感じられ、また振り返っても何もそこから自分で生み出せないので、まさに无駄だという経験をし、そのマイナスイメージから抜け出せないのかもしれません。
しかし、そのままではこれまで以上の成果を生み出すことはできません。ここは一念発起、反省の技法を身につけて飞跃的な伸长を生み出すことができるように自己変革を起こしませんか?自分の力が足りないとか、限界なのだとか、考えなくて良いのです。反省の技法なんて、教えてもらうことも、言叶を闻くこともなかったでしょうからね。日々に流されずに、日に叁度、これまで学んだことの思考の论理を追う癖を付ける、论理が繋がらない、正确さに欠けているのにもかかわらずこんなもんだろと済ませるところに気づく、なぜそうしてしまうのだろうと考える、これがスタートです。このくりかえしが、自分に合った反省の方法を生み出しさらに技法にまで高めて、これまでとは违う结果をもたらしてくれるはずです。わかったような気になる时に必ずその论理を口に出して周りの评価を受け、その修正を行うことができるのも、得难い结果の1つだと思います。
このプロセスで问われるのは、「地元のヒーロー」君のように、何としても法曹になるんだという强いしっかりとした覚悟があるかどうかだと思います。
昨年出版された学习の科学的分析に関する本では、省察につき、次の一文があります。
「授业や実践で学んだことを振り返って自问する数分间の练习。何がうまくできたか、さらに向上させるにはどうすればよかったのか、今の学习に関连して、役立ちそうなほかの知识や経験はあるか、习熟度を高めるには、さらにどんなことを学べばいいのか、次回にどんな手法を试せばもっとうまくやれるのか」
次回は「利他心」です。
