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谜解きの趣味がこうじて【大野英志】

 私が中学?高校生だった1980年代はテレビの2时间ドラマが全盛期を迎え、金田一耕助、明智小五郎、浅见光彦を始めとする推理物をよく见ていました。また、インターネットはありませんでしたが、パソコンや家庭用ゲーム机で推理ゲームをしていました。「谜解き」がとても好きで、数学(文系向けですが)は得意科目の一つでした。英语も多少の例外を含め文法のルールを忆えておけばテストで良い点が取れたこともあって、将来选択においては英语の教员を考えました。一方で、国语の成绩が悪かった私は、「この登场人物のこの场面での気持ちなんてどうでもいい」などと勉强を諦めていました。

 さて、「英語教員になるのなら広大がいいよ」という小学生時代からの先輩(現在は教育学部教授)の助言もあり、文学部文学科英語英文学専攻に入学しました。4年次に卒業論文の指導教員を選択することになっていましたので、「登場人物の気持ちなんて…」という考えを依然として持っていた私は、文法を扱う英語学がいいなと漠然と考えていました。受講した専攻科目の中で、最も衝撃的だったのが3年次の「中期英語演習」で、ジェフリー?チョーサー著の『カンタベリー物語』を読む授業でした。この作品は14世紀末の物語詩で、綴りはおおよそ現代英語に似ていますが、意味が全く違う語(例:nyceはfoolishの意味)があったり、現存しない文法(例:if yow likethのyowは現代の目的格、-th語尾は三人称単数現在を表す)があったり、韻律の関係などで語順が異なっていたりしています。授業では田中逸郎先生が、「総序」850余行を音読し丁寧に解説してくださいましたが、その解説無しでは、ある動詞の主語と目的語を見極めるのは難しく、まるで謎解きをしているようでした。一節の意味が徐々にわかってくることは、2時間ドラマの主人公の推理が犯人にたどり着くことと似ていると感じました。古い日本语(古文)は大の苦手なのに、なぜ古い英語を専門としているかを今考えてみますと、この授業との出会い以外に答えは見つかりません。大学院進学後は、中期英語の専門家で、文学研究科に着任されたばかりの地村彰之先生のご指導の下で本格的な研究を始めました。

当时のノート

当时のノート

 言叶はその使用者である人间と共に変化します。例えば、ある表现形式が时代と共に変化する际、その変化は徐々に始まり、しかもその変化の度合いは一様ではなく、また新旧両形式が共存することもあります。その场合、両者に意味の违いがないから形式の交代が可能になると考えることもできますが、使用者がその违いを意识して両用法を使い分けたとしたらどうでしょうか?広岛大学の英语学は英语の歴史を踏まえて文学作品を研究対象とすることで、文脉を考えながら、选択された表现形式が何を意味しうるかを研究する分野です。このような谜を解いていると、いつの间にか、目に见える表现形式を通して、目に见えない登场人物の性格や気持ちを探る自分に気がつきました。

 现在私はその「中期英语演习」を担当し、「谜解き」の感动をより多くの学生と共有しようと努めています。また、「近代英语演习础」では1600年前后のウィリアム?シェイクスピアの作品を扱っています。これらの授业では、それぞれの时代にどのような表现形式のバリエーション(横糸)があったのかを解説すると同时に、それらの表现形式が现代英语ではどのようになっているか(縦糸)も解説しています。さらに大学院では、今林修教授と合同で「英语学特殊讲义」という科目も担当し、そこでは2人の専门とする时代以外の文学作品も精読しています。このようにして、英语英文学という织物をつくっています。同じテクストでも、ある表现形式を意识して繰り返し読むことで新しい発见があり、その织物も徐々に厚く、丈夫なものになります。この织物作りに、研究者や教员を目指す人だけでなく、纯粋にことばに兴味のある人にも积极的に携わってほしいと思います。

カンタヘ?リ物语_贰濒濒别蝉尘别谤别写本

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