麻豆AV

第41回 不思议なこと

 最近、大学时代に読んだ釈尊の书籍から、その説法を思い出すことがあります。なぜ思い出すのかはよくわかりません。ただ、现実に対して何となく违和感を感じるときにふと头の中をよぎることが多いように思います。

 一つは托鉢行に関するものです。概要は以下のようだったと思います。

 ある时、釈尊がお弟子さん达を连れて托鉢行に向かわれた际に、二股の分かれに来ます。釈尊は左の道を歩いていこうとするのですが、お弟子さんが「釈尊、そちらは大変贫しい村に続いています。食うや食わずの村人が布施をするとは思えません。右に行って托鉢を行いましょう。」と申しましたところ、釈尊は「そうであれば、なおさら左の道を进んでその贫しい村で托鉢しなければならない。」と答えられました。そして、「食うや食わずの贫しさに苦しむのはこれまで他人にかまわず自分のことばかりを优先し、饿鬼界の因縁を积んできたからである。苦しみの原因を解くために、他人に布施をすることで徳を积まなければならない。だから、托鉢に行くのだ。」と话されました。その弟子さんは釈尊のお言叶に感谢しその村での托鉢に励んだそうです。

 実际に、その村での托鉢では、当初は2,3粒のお米が布施される日々も続きましたが、その后、少しずつ布施をする村人も米粒の数も増えたとのことです。2,3粒のお米も仏法の布教伝道のために差し出されるのですから、その仏心に喜びと敬意をもって托鉢されたのでしょう。まさに人はパンのみにて生きるにあらずということかもしれません。

 釈尊は智慧を説き、存在の原理を明らかにされます。目の前にいる人々が苦しんでいる理由を説明し、その苦しみの境涯から抜け出すための方法を示されるのです。釈尊の説法は闻く者に意外な问いや求めが印象的な言叶でなされ、その场にいる者の耳を倾けさせ、闻く者が分かりやすい例を示し、仏道修行に置き换えることで、闻く者がその説くところの意味に気づき、それに従って生きることができるように导きます。

 暑い中を歩いて凉しい森につくと、突然に木の枝を手に取って、比丘に「この枝にある叶の数とこの森の木々に生えている叶の数ではどちらが多いか」と寻ねられたり、幼児を亡くして悲嘆にくれ「子供を生き返らせてほしい」という女性に、「米粒1つを持ってくれば生き返らせてあげよう。ただ、その米粒はこの村で一人の葬式も出したことのない家からもらってくるのです」と求めたり、同族の者が釈尊のもとに出家したため怒鸣り込んできた婆罗门が骂詈谗谤するのを黙って闻き少し静かになったところで、その婆罗门に「来访するお客にご驰走を出したが、その客が箸をつけずに顶戴しなかったら、そのご驰走は谁のものとなるか」と问うたりされます。

 それぞれがどのような教えを通じ仏心を兴していくのかを想像してみてください。釈尊はその比丘、女性や婆罗门それぞれに何がその人を苦しみから救う教えとなるのかを见通されて法を説かれます。それが、人を见て法を説く、対机説法と称される所以でしょう。

 これを仏陀釈尊だからこそそのような説法ができるのだというのは简単ですが、教える侧に立つものとして自省して考えるに、それはある意味で责任逃れに闻こえます。

 教える者として目の前の学生に、それもそう多くない人数の学生に知识の理解を促し、学び方を示して、自学自习できるように育てることを目指すのであれば、学生が何ができるようになったのかを客観的に见て、それがささいなことに思われても、その成长を喜べる境涯にあって、次にいかなる潜在的な能力を引き出すのを手伝えるかを考え、工夫することは必要でしょう。仏陀のような智徳円満とはいきませんので、思うようには展开しないとしても「人を见ながら教える」ことを模索しなければならないでしょう。

 少人数を教えるという环境にあるのであれば、一人として切り捨てていくことはできないはずです。基础的な知识が备わっていないからどうこうというのも、その学生をどこかで暗黙裡に切り捨てて、自らの正当化を図っているように思われます。学生が镜となって教える者の姿を映し出しているのに、それを何やかやと理由をつけて见ないのは自己改革のヒントを捨ててしまい、奔放な我が道を行くことにならないかと危惧します。

 次回は「理想の自分の生き方」です。

 


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