法曹を养成する法科大学院では、その理念を具体化する教育を実现するために様々な工夫がなされています。本研究科でも、纷争解决の场における共通语として意思疎通を図るためのツールを正しく使えるように锻えることはもちろんですが、同时に、その学修から得た自分なりのメソッドを新たな学びの场に転用?活用して、よりスムーズに学修成果を获得できる能力をよりハイレベルに锻えたいと教育内容?方法や教育プログラムを改善しています。
最近、本研究科の附属施设であるリーガルサービスセンターの协力を得て実施している取组の成果を分析しました。それは模拟法律相谈です。模拟法律相谈を定期的に実施する机会を设け、在学生に継続的に参加するように促していますが、ようやく3年间あるいは2年间継続し修了を目前にする学生が出てきました。授业のなかで质疑応答を重ねると回答が深まっていかなくなったり、质问の意味を理解しきれていないと感じるときがしばしばあります。そこで、弁护士の立场で模拟相谈者の持ち込むトラブルを闻き、的确に整理したうえで一般の人にわかるように説明する、さらに相谈者が真に求めているのは何かを捉えることを意识づけることがベクトルの异なる刺激になるのではないか、少なくともこんなもので何とかなるからそれでいいという自己満足を打ち破れるのではないかと思いました。その目的はそこそこ达成できているように思われますが、それと同时に、学业成绩と模拟相谈の评価との间にかなりの相関が见られることに惊きました。相谈にはセンスの良さもあるのですが、それとは别にペーパー试験で评価される学修到达レベルとの相互影响が见られ、模拟相谈を通じて现状の学修状况をかなり正确に把握できますので、适宜に适切なアドバイスを送ることができそうです。穴に落ちてから救い出すのはかなりの労力を要するのですが、落ちる前であれば避けさせることで足ります。
もちろん落ちた方がよい穴もあります。自力ではい上がることで今后の飞跃を生む场合があるからです。しかし、自力ではい上がることができない学生を见ることが多くなりました。はい上がるために行うであろうと期待することがなされていない、あるいはなした形跡すら见られないのです。穴に落ちたときにどうすれば穴から抜け出せるのか、その术がわかっていない、あるいは穴に落ちたという自分自身の状况をそもそも把握できていないのでは、と危惧します。学修状况を観察すると、つねに谁かから歩むべき道を指示してもらい、その道を歩きさえすれば先人と同じ结果が得られると思い込んでいて、顕着な例では表层的な理解で何とかなるドリルと记忆でペーパー试験を乗りきってそれを成功体験として押し通そうとするから、自らに欠けている力に気づいていないようです。その力が身につけば世界が変わるのにもったいないと思います。それは本人だけの问题ではなく、教える侧が学ー生の飞跃の契机を失わせ、その持つ力を引き出しきれていないことに気づかなければならないでしょう。同じ穴に教える侧も学ぶ者も落ちているのかもしれません。
ただこれでは、学修の転用?活用は絵に描いた饼になってしまいます。何らかの结果を生んだ学修プロセスがどうであったのかを振り返ってその分析を行うこともままならず、そもそもそこに自らの工夫がなくこれまでの繰り返しにすぎなければ、転用の余地はなく、今后、大きな壁にぶち当たってしまうだけでは、と心配します。そこは教える侧の创意工夫の场ですね、きっと。
次回は「妙なスキル」です。
