「世界平和を実现しよう。」「戦争で多くの命が失われること、多くの人生が损なわれることはあってはならない。戦争は絶対にいけない。」との思いは人として共通の愿いであると思います。特に広岛は、长崎、冲縄とともに、その诉えが真挚に世界の人々に届くと言われていますので、世界平和を诉え続けその実现に迈进しなければ、先の大戦での数知れない犠牲者の念いに応えられないように思います。
世界が真に平和であるという状况は、国や地域から、公司や学校などの组织や集団、さらに家庭という「世界」を构成する人の集まりにおける安穏が実现されることで生み出されるでしょう。二人が一つの空间を占めれば、二人の関係性の构筑が求められます。二人の间には、相互尊重から无関心、対立さらには戦いまで起こり得ますから、この最小规模の集団における安穏を筑く方法がより大きな集団における安穏を获得するベースになると思われます。また、小さな集団が身近であれば、そこにおける対立や戦いがその集団を构成要素とするより大きな集団に対する不平不満を生み出して、その集団の壊乱を招く要因にもなりかねません。
では、二人の集団における安穏はどのようにすれば得られるのか。釈尊の説法で非常に印象に残るものがいくつかありますが、その一つにヒントがあると思います。
コーサラ国の国王がその妃に次のように问いました、「そなたがこの世の中で最も爱おしいと思うのは谁か。」と。妃はしばらく考えて「国王様には诚に言いづらいのですが、最も爱おしいのは自分自身です。」と答えました。国王はこれを闻いて、「そうか。自分もずっと考えてみたが、そなたと同じく、自分自身が最も爱おしい。」と答えました。しかし、それは釈尊の教えとは违うような気がするので、釈尊に直接伺ってみることとしました。
釈尊は、国王からの问いに以下のように答えられたそうです。
「人の想いは、いずこへもゆくことができる。されど、いずこへおもむこうとも、人は己より爱しきものを见いだすことを得ない。それと同じように、すべて他の人々にも、自己はこのうえもなく爱しい。されば、己の爱しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ。」
また、釈尊は、别の机会に、国王が真に己を爱するとはどういうことか、己を爱せぬとはどういうことかを考えて得た结论につき意见を问われた际にも、以下のように答えてられています。
「己を爱すべきものと知らば、己を悪に结ぶなかれ。悪しき业をなす人々には、安楽は得がたきものなればである。」
国王と妃との信頼関係にまず惊かされますが、そのような関係にあるお二人であっても、最も爱しきものは己であるというのです。それぞれが自己を最も大事にしているにもかかわらず、相互に信頼し仲睦まじいのはなぜか。相手を害することなく、その身口意の叁业において悪业を积まず、善业により自らに善果报を帰すのであれば自己を爱おしむこととなるとの釈尊の教えを実践しているからではないでしょうか。
縁起の法による因縁果报の実践哲学が、日々の行动を通じて、身近な人との関係にその成果を见せつつ、修得されていたように思われます。
个々の人が安穏な日々を迎えるためにその行动を変えることがその人の属する集団の状况を好転させ、その集団に属する一人一人の行いを変えていければ、安穏な家庭、组织、地域へと変化が积み上がっていく、それが个人や家庭の安穏、组织や地域の安寧、世界の平和へとつながるとの平和観だと思います。
この平和観は时间轴を长く取りながら、自分自身に起こる微妙な変化あるいはその兆しに気づくことで、爱しき者が爱しき者になすことを自己になすことでの因果律の働きを感じとる努力を要します。自己を爱しく思うのであれば、自己をしっかりと観て、敏感にその変化に気づくことができるとともに、自己観察や自省から得られる経験知が、他害の禁止を実践する际に、相手に対する共感力を引き出すこともできるでしょう。
この観点では、トラブルも関係者の因縁の持ち寄りと见ることができますので、それがどのような解决を见たかという结果よりも、そのプロセスにおいて自らを初めとしてどのような人が関わって结果に至ったのか、それを引き寄せる己があることを见定めることで、己を爱しむにはどうするかを考える机になります。
これにより実践行动が一层洗练されると思います。短期的な観点での不満のために実践哲学をすぐに放弃してしまうことを避けられ、継続努力がもたらす変化に感谢する机会にも恵まれるでしょう。
なお、釈尊の説法は、増谷文雄『仏教百话』(筑摩书房)を参照いたしました。
次回は「时间との対话」です。
