広岛大学教育学部
熊原 康博
办耻尘补办耻尘补*丑颈谤辞蝉丑颈尘补-耻.补肠.箩辫(*は半角蔼に置き换えてください)
広岛大学教育学部社会系コース地理学研究室(代表者 熊原康博准教授)は、過去の災害を伝える広島県内の水害碑の調査を先駆的に行っていたこと、令和元年に新たな地図記号として定められた「自然災害伝承碑」の公開において学術的な貢献をしたことに対して、国土交通省国土地理院長より令和2年度測量?地図の感謝状を贈呈されました。
この感谢状は、毎年6月3日の「测量の日」に测量?地図に関する普及?启発に顕着な功绩のあった个人又は団体に対して赠られるもので、今年度は、个人4名?2つの団体に赠呈されました。(感谢状赠呈式はコロナ感染症拡大防止のため后日开催の予定)
国土地理院 報道発表資料
熊原准教授のコメント
水害碑に限らず自然灾害伝承碑の意义は、その灾害や被害?復兴に関する情报が、灾害が起こった场所に半永久的に示され続けていることです。昔と今では様子が大きく変わり、灾害が起こるようには思えないところでも、碑をみれば过去には灾害があったことがわかり、灾害を「自分ごと」として捉えるきっかけになるはずです。さらに、国土地理院の地図记号として碑の位置と情报が记録されることにより、どこに何の碑があるのかが手軽にわかるようになります。このことは大変画期的な取り组みだと思いますし、その取り组みに我々の研究がお役に立てたことは夸らしく思います。
今后は、自然灾害伝承碑のさらなる活用方法を考えていきたいと思っています。学校教育や防灾教育のカリキュラムに组み込んだり、郷土学习の一环として石碑から地域の灾害史を学ぶ取り组みなどを进めていきたいと思っております。


调査の様子
地理学研究室の水害碑の调査结果は、3本の论文にまとめられていますが、研究のきっかけは、着者の一人小山耕平さん(现広岛市立舟入高校教员)の卒业论文研究です。
水害碑の中には明治期の石碑もあり、碑文がすべて汉文で意味がわかりにくいことから、日本史専攻の藤本理志さん(现呉市海事歴史科学馆职员)や弘胤 佑さん(现広岛城北中?高等学校教员)をはじめ、下向井龙彦広岛大学名誉教授の助力を得て现代语に訳しました。
また、现地调査では、岩佐佳哉さん(日本学术振兴会特别研究员、博士课程后期大学院生)だけでなく社会系コースの学生や大学院生の协力も得ながら调査を行いました。
それらの成果をもとに、水害碑の立地と灾害発生场所との関係を空间的に分析したり、文体?内容などの歴史的変迁の特徴を明らかにしました。
この成果は、広岛市の防灾情报サイトに掲载されている「水害碑が伝えるひろしまの记忆 -过去が教えてくれること-」にも活用されています。
広岛市防灾情报サイト
论文
1.藤本理志?小山耕平?熊原康博: 広島県内における水害碑の碑文資料. 広島大学総合博物館研究報告, 8号: pp.91-113, 2016.
2.小山耕平?熊原康博?藤本理志: 広島県内の洪水?土砂災害に関する石碑の特徴と防災上の意義. 地理科学, 72巻: pp.1-18, 2017.
3.熊原康博?弘胤 佑?小山耕平?岩佐佳哉: 広島県内の水害碑に関する追加資料と歴史的変遷. 広島大学総合博物館研究報告, 9号: pp.81?94, 2017.