麻豆AV

2500年前から人生のスケジュールって大して変わっていないらしい

みなさん、论语ってご存じですよね。汉文でおなじみ、儒教の重要な経典である四书五経のひとつで、书いた(正确には弟子たちが死后に言叶をまとめた)のは孔子、纪元前551年の生まれです。

なかでも、よく引用される言叶のひとつが「不惑」でしょう。40歳で迷うことがなくなる、そんな意味です。

论语自体は20编以上に上る大着なのですが、不惑はそのなかで第2编、為政编の冒头近くに出てきます。优秀で知られるみなさんのこと、ちゃんとご存じのこととは思いますので、とりあえずの復习の意味で引用します。

子曰、吾十有五而志乎学、叁十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳顺、七十而従心所欲不踰矩。

15歳で学问に志し、30歳で独立し、40歳で迷うことがなくなり、50歳で天命を知り、60歳で他人の言叶を谦虚に受け止められるようになり、70歳で人の道を踏み外すことなく自由に行动できるようになったって内容です。

これを现代人の生活歴に照らし合わせてみることにします。

15歳。义务教育を终えて高校に入学、自らのために学び始めます。社会人になって新人教育の期间が终わり、仕事が一通り分かって独り立ちするのが30歳前后。40歳前后で専门性が身につき、自らが信じることに打ち込める能力と立场を得ることになります。迷うことがない(あるいは迷うことが许されない)ってことですね。

さて、面白いのはここからです。

50歳で天命を知る。

大手都银に勤める友人が、半ば自嘲気味に「都银って51.5歳が定年なんです」と言っていました。どういうことかというと、将来の役员候补となるごく一部を除いて、総合职入行组が片道切符の出向という形で「卒业」となるのが平均51.5歳です。胜ち负けで言えば「负け」ではあるのですが、ほとんどが出向组となるので、あまり悲壮感はないようです。これが银行员にとっての「天命」です。

同じように、多くの组织でも出世の胜ち负けがはっきりし、ほとんどが第一线から离れてそれぞれのレールにキャリアチェンジすることになります。また、仕事へのこだわりから组织から外れて、独立を果たすのも50歳前后という事例は少なくありません。

いずれにしても、天命を知って落ち着くところに落ち着くのです。

そして60歳になって、他人の言叶を受け入れられるようになる。

おいおい、それじゃ遅いだろうと思わなくもないのですが、数多くの経験を积み、欲望というものも少なくなり、比较的余裕が出てきてこそ、他人を受け入れる余裕も出てくるのではと、この世代を観ているとそんな共通项がありそうです。

そして70歳、老境にさしかかって始めて人の道とはなにかが分かってくる。まぁ、この歳になって人を押しのけてどうのという体力気力もなくなっているでしょうし、下手のコトすると「いい歳してなにしてるんだ」と叱られるのもこの世代です。

ねっ、2500年経って社会や文明が大きく変わっても、人间の生き方、人と人との関係性、社会での位置づけなんて、大して変わっていないのが分かりませんか。论语が时代を超えて読み継がれるのも、この普遍的な中身であるが故です。

ということは、みなさんのこれからの生き方は论语が示してくれているといえるのです。自分が今、どのステージに立っているのかを确认するのもいいですし、将来の目标に缔め切りを设定することにも役立ちます。

今も昔も书店店头には「人生をこう生きろ!(オレはこうやって成功を掴んだ)」みたいな、根拠のない自慢话を书き连ねた人生论の本があふれています。それだけ人生には迷いが多いことの証左でもあるのですが、普遍性のない言叶に惑わされては远回りになるだけです。

どうせ不惑も天命も耳顺も、人生のスケジュールは决まっているんです。その过程での胜ったの负けたのなんて误差のウチです。

风雪に耐えた古典に耳を倾け、大局観をもって人生を见つめる。これこそが迷いなき生き方の秘诀と心得るべきでしょう。

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