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第39回 「工作室雑感」 石川 智弘 (2011/10/03)

 20年ほど前の话である。学部生だった私は応用物理の研究室にいながら指导教员の教授から金属の切削加工の指导を受けた。「あるテーマ専用の装置というものが売られるようになったら、そのテーマはそろそろ潮时だ」というお考えで「既製装置の改造を含め、必要なものは作って研究する」という教育であったと思う。
 ポンチ絵で设计図を书いて持参し「この値は妥当か」、「构造はこう、加工の顺番はこうした方が良い、なぜならば???」とレクチャーを受ける。教授自ら工作室に入り、フライス盘やボール盘を駆使して、切りだし、面を取り、穴をあけ、ねじを切る。私はただの金属板が光学部品になっていく様に目をみはった。漱石の「梦十夜」ではないが、それこそ块から掘り出しているかのように思えた。何回かの间に、いくつかの「べし」と「べからず」を见闻して、自分でも徐々に工作のまねごとをするようになった。

 ようやく覚えた金属加工で光学系を作り、光电子増倍管も取り付けた。暗幕のなかにこもって格子の向こうからわずかにやってくる光を待ち受ける。オシロスコープの表示は観察时间を延ばすにつれ平均され、急速にノイズが消え滑らかになっていく。
 ところが、フィッティングして出てきたパラメータが何度やってもばらつく。さらに取得时间を延ばし、ほとんど一晩かけてデータの取得をするようになった。出てくるデータは、いまや素晴らしく滑らかなのだが、パラメータの方は一向に収束しない。
 「荒れたデータの中にも特徴量が表れている」ということはありそうなものだが「データがきれいで抽出された特徴量はまちまち」とはどういうことか。答えが见つからないままに教授の指导を顶いた。「骋补耻蝉蝉颈补苍でフィッティングしているが、この出力は尝辞谤别苍迟锄颈补苍で独立性の低いもう一つのパラメータがある。そうは简単に収束するまい。本质的なものだから、格子の构造そのものを见直した方がいいね。」

 一方、そのころ研究室で「実験装置のステッピングモータが目标位置まで定速で动いて急停止する。何とかできないか?」というお题が出て、みんなであの手この手を考えていた。ワンチップコントローラなどはまだなく、「国民机」を自称していた笔颁が叠础厂滨颁で书かれたプログラムでモータを制御していたと思う。
 私は「水カビが発生しやすいので超纯水のタンクの浮きを无くしたい」という注文を受けて、超音波で水面を见张る水位计を作ったばかりだった。悪乗りして「超音波で现在位置を検出して目标位置との差分を取って云々、全部ハードウェアで処理しよう」などと抜かしていたら、修士の先辈に漫画のセリフで一刀両断された。「ユニークだ。だが、ユニークすぎる。プロフェッサーにはなれないな。」1)
 しかし、教授の解はさらにユニークだった。现在位置と目标値をいきなり差动入力の痴-贵コンバータに放り込む。たった一个の滨颁が目标に近づいたステッピングモータを静かに止める。しかも、パルスを脇から入れれば、笔颁(ソフトウェア)からの修正制御はいつでも可能だ。「胜负あり」である。谁かがぼやいた。「一度使ってなければ、そんな石(滨颁)すぐ出てこないよなあ。」

 それにしても、と一连の出来事を思い出して、今思う。技にしても、理论にしても、知识(あるいは経験)にしても、教授が折々に示す「抽象を具象に帰着して切り分ける力」は圧倒的だった。
 时は流れ、今や「○○测定装置」、「○○作成装置」があふれている。测定どころかデータ処理まで済んでしまい、测定が妥当であろうかなかろうが、ともすると试料を载せなくとも、スペック通りの桁数の数字を吐き出してくる。お高い设备?装置がある(から)すごい研究所?えらい研究室という风潮がなきにしもあらずで、研究が既製装置に依存する倾向に拍车がかかっており、あの「切り分ける力」を学ぶ机会が减っているのは惜しまれる。
 マスターにもならなかった私が、头に何やら付くとはいえプロフェッサーのはしくれになってしまった。谁かに何かの兴味を持たせられているか、研究の绍介が装置の绍介になっていないか、ときおり自问する。

1)さらに「せいぜいマスター止まりだ。」と続く。元ネタが「惭础厂罢贰搁キートン」(胜鹿北星原作、浦沢直树作画)というあたりが、このセリフのオチである。

(2011/10/3)


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