日本における一般社会の大学の认识については、辛く厳しい大学受験を乗り越えて、そのご褒美として、のんびりと过ごせる4年间の休息期间と考えている人が少なくないように思う。ひょっとすると多数派かもしれない。一方、昨今の就职状况から、就职活动に関しては、その厳しさは认识されている。すなわち、大学とは就职先への桥渡し机関である。一般的な価値基準は、大学入试による选抜とその大学を修了することに比重が置かれている。大学で学ぶ内容そのものの理解の深さや独自の解釈などの比重は小さく、卒业に必要な単位を修得することが目的である。残念ながら、この状况は博士课程まで続いているように感じる。博士课程修了の実质的な判断基準は、いくつ学术论文を採択されたかで决まる。欧米では、大学の歴史の长さが主な要因かもしれないが、内容そのものへの理解や研究自体への比重が大きい。というより、それらが目的であることが当然として、すべての人に浸透しているように思う。结果として、単位修得があり、学术论文発表があるだけだ。この状况を変えるのは难しい。国家公务员上级职试験(名称は违うかもしれないが)合格者はキャリアと呼ばれる。キャリアという言叶をこのような意味に使うのは、日本だけかもしれない。
(2012/1/10)