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第20回 「宝物,そして心に残る言葉」 梶山 博司  (2011/02/15)

旧大学院先端物质科学研究科 半导体集积科学専攻

第20回 「宝物,そして心に残る言葉」   (2011/02/15)

梶山 博司 (寄附讲座:先端ディスプレイ科学 特任教授)

&苍产蝉辫;コラム执笔の顺番が回ってきたら、大切にしていることを书こうと漠然と决めていた。しかし、もとより、座右の铭とか、信条などとは无縁の人间で、何事につけてもだらしなくて、色んなことを忘れたり、すぐに失くしたりする自分である。いざ原稿を书こうとして、はたと困ってしまった。すぐには思い当たらなかったが、ずいぶんと考えたすえに、自分にも大切にしているものがあることに気づいた。何度かの引越しを経ても、それらは、きちんと机の引き出しに収まっている。それらとは、讲义ノートと原稿用纸である。

 私は広岛大学理学部物性学科を卒业した。必须科目のひとつに、西川恭治先生の统计力学があった。移転前の千田町キャンパスの理学部1号馆には、100人くらい収容できる阶段状の讲义室があった。统计力学の讲义は月曜日の1时限だったが、毎回ほぼ全员が开始时间にはそろっていた。西川先生は、式や记号を早いスピードで黒板全体に板书されるので、学生は皆、ノートにとるのに精一杯であった。身振り、手振りを交えながらの讲义を聴いているうちに、内容がわかった様な気分になったのを覚えている。大切なものとは、その讲义ノートである。なにしろ、分厚くて、ぎっしりと书き込まれていて、毎回出される小テストの问题まで书かれている。就职してからしばらくして讲义ノートがあることに気づいたが、それ以来、时たまパラパラとめくりながら、読み返している。不思议と、イライラした気持ちが安らぎ、统计力学の世界に浸ることができる。当时よくわからなかったことは、いつまでたってもわからないままなのが、残念であるが。

 大切なものの2番目は原稿用纸である。私は卒业して电机会社に就职したが、研究所に配属され、金属材料の开発を担当することになった。担当といっても、自分ひとりで仕事をできる能力は全然なく、指导员に色々と教わりながら、少しずつ仕事を覚えていく毎日であった。入社后半年くらいだろうか、研究报告书を执笔することになり、それまでの仕事をまとめることになった。実験ノートを见ながらいざ书こうとしても、1行も书き进めないのである。今から思えば、ただ作业をしていただけで、実験の目的、意义など全く考えていなかったので当然であるが、それさえも当时の自分は気づいてなかったように思う。それでも何か书かなければならないので、研究の动机と目的、実験方法、结果と顺に原稿用纸を埋めては、指导员に提出していた。その原稿は、指导员によって、削除、修正され、しかもコメント、质问で、原稿用纸全体が真っ赤になって戻される。来る日も来る日も、提出、修正、再提出の繰り返しで、本当に神経衰弱になりそうであった。そのうえ、指导员からは、原稿の内容について、深夜でもお构いなく电话がかかってくるのである。もう勘弁してくださいという気持ちでいっぱいであったが、3ヶ月ほどそれを繰り返したのち、やっとのことで指导员の许可がでて、何とか研究报告书を提出することが出来た。

 宝物とは、真っ赤になった原稿用纸の束である。10cmほどの厚さがあるが、30年も前のものであり、今となっては、色あせてパリパリになっている。それを手に取るたびに、当时のことを鲜明に思い出す。そして、毎回毎回、私の原稿を修正して顶いた指导员に感谢の気持ちでいっぱいになる。その指导员には、その后もずっとお世话になった。仕事が変わるとき、転勤や退职など、会社生活の节々で、贵重なご意见を顶くことができた。先日ひさしぶりにお会いした际に、「あのときの原稿用纸、今でも大切に持っているんですよ。」、とお伝えしたら、「本当にお前は灭茶苦茶だったよな。」とあきれておられたが、すぐに当时の思い出话に花が咲き、懐かしくもあり、気持ちだけでも若返ったようであった。今になって、研究报告书にまつわる一连の出来事のおかげで、何とかこれまでやってこれたことに気づくが、その意味で、私の原点である。今、研究室の学生さんに、自分はどの程度のことをしているのだろうか、と思うことがある。そのたびに、あの指导员にして顶いたようにはどうやっても无理だと、できない理由を探してしまう自分が情けなく、申し訳なく思う。

 私の宝物を二つ、臆面もなく绍介させていただいた。西川先生の讲义ノートは、研究室配属で西川研を希望する原点であった。西川先生の讲义をきいて、私も研究者になりたいと漠然とではあるが、思うようになった。原稿用纸は技术者として生きていくための原点であったが、头のなかにあることと、それを文章にしたときの“かい离”を常に意识するきっかけになった。そしてなによりも、漠然と仕事していたのでは、头の中は空っぽであることに気づく原点でもあった。いまだに、方向性のない思考や行动をしてしまう自分であるが、これからも宝物をずっと大切にしていきたい。

 最后に、心に残る言叶を绍介させていただいて、コラムを闭じようと思う。私は、卒业后、日立製作所に就职した。入社式での叁田胜茂社长のお言叶。「君たち全员の肩には、天使が腰を掛けている。残念ながら、その天使に気づかない人がほとんどである。」

(2011/02/15) 

 


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