「生せは生る成さねは生らぬ 何事も生らぬは人の 生さぬ生けり」は、「伝国の辞」とともに、米沢藩藩主上杉鷹山が次期藩主に伝えた和歌と言われています。意をとらえて漢字を振りなおせば「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」。英語でのことわざ”Where there's a will, there's a way.”と、日本语での「精神一到何事か成らざらん」も伝えようとしている中身は同じと考えられます。
明确に目标を定めて行动すれば何だって実现できるという命题は、森罗万象すべてに当てはまるわけではありません。正确を期せば、当てはまるとは限らないということを确认することは困难であるけれども、どんなに行动しても実现することはできないと思われるものは世の中にたくさんあります。たとえば、自然科学?社会科学などこれまで多くの人の间で正しいと信じられてきた法则に反することの実现は、どんなにそれを强く念じても実现は困难でしょう。そこまで言わずとも、设定期间が短くなればなるほど実现できる范囲は、意思の强さとは无関係に狭まっていきます。法则に反せず、时间の制约もない(生きているうちに実现されるとは限らない)としても、実现することが相当に困难なこともあります。それは、実现しようとしていることが他人を巻き込むにも関わらず、自分以外の利益に适っていない场合です。
実现しようとする课题が困难であればあるほど、その克服には多くの人の力を必要とします。人が行动をする意思が明确になるのは、自己の利益に适うか、あるいは集団の利益に适うかのいずれかでしょう。鹰山の和歌の意を加えると、多くの人の利益に适い多くの人の意思が同じ方向を向かない限り克服できないほど困难な课题が世の中にはあります。
研究にも、ひとりでできる研究とみんなの力を合わせないとできない研究があります。「工学とは数学と自然科学を基础とし、ときには人文社会科学の知见を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快适な环境を构筑することを目的とする学问である」摆1闭と定义される工学ではどうでしょうか。「有用な事物や快适な环境を构筑することを目的とする学问」を為すうちは、ひとりで明确な目标を持ち行动すれば学问的成果が「成る」可能性は少なからずあるでしょう。それは、学问でとどまっているうちは巻き込まれる他人は少ないからで、极端なことを言えば自己の利益に适ってさえすればよいのです。でも、后ろの语句を省略すると状况は大きく変わります。「有用な事物や快适な环境を构筑すること」を為す、すなわち実用化に结び付けるには、多くの人が目标を共有し行动しなければなりません。そのためには、多くの人の利益に适う必要が生じます。
日本学術会議では「科学のための科学(Science for Science)」に加え、「社会のための科学(Science for Society)」、「政策のための科学(Science for Policy)」を含めた3つの科学を推進する方針を掲げ、社会や政策への貢献を重視するそうです。工学は、これまで以上に社会貢献だけでなく政策貢献が求められる時代になります。周りの人々の顕在的あるいは潜在的な利益とそれにつながる意思がどこにあるのかを見極め、それを自己の意思と同期させ、工学の最終目的である実用化へと研究成果を「成す」ことをこれからの時代にはますます意識する必要があるのではないでしょうか。
[1] 工学における教育プログラムに関する検討委員会、平成10年

上杉鹰山(1751-1822)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:上杉鷹山.jpg より引用