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第50回 「頑張れ高齢者」 福山 正隆 (2012/02/20)

 米国では生涯で平均6-7回も勤务の会社が変わるそうです。日本もそうなりつつあります。会社が惭&础で吸収合併したり上方志向で飞び出したりが主な理由です。私も元公司にいたときは転勤で7-8回変わりましたが、自分の経験として忘れられないことは米国の半导体の会社をリストラで700名近くを解雇したことです。ただ従业员は逆に私を慰めてくれました。「あなたはよく顽张ってくれた」と。2日间のクリスマスパーテイで英语の歌を生のジャズバンドで歌ったのも大変受けましたし、トライアスロンに诱いに来てくれた従业员もいました。こういうことで亲近感をもたれたのかなと思ってます。
 公司を定年退职した后、平成19年から広岛大学の当研究所に职を得ました。公司から大学という変化は大変新鲜でありました。私は现在ナノテクノロジー?ネットワークの全国13拠点の一つ(広岛大学の当研究所の副所长横山新教授が拠点长)で「シリコンナノ加工と高品质真空利用技术に関する支援」の主任として当研究所の施设を利用して日本全国の大学や公司のナノテクノロジー発展の支援をしています。 最近の工学系の教育プログラムとして求められる人材として女性、外人、高齢者があります。私も高齢者として顽张りたいと思います。ちなみに2011年4月に私は社会人博士(工学)を69歳で取得しました。ご指导いただいた横山新教授と彻夜でも顽张れた自分の体力に感谢したいと思います。さらに顽张れたのも多くの方々の激励と支援の赐物でした。公聴会は3月末で学生は卒业した后でしたので聴讲者は少ないのではないかと悬念いたしましたが通常の3-4倍の方々に聴讲いただきました。高齢者のパワーも意外と受けるなと意を强くした次第です。今年のナノテクノロジー総合展には多くの海外の方々に参加していただきました。まさに国际化が拡大しているのを肌で感じました。
 写真は私が元いた日立高崎工场(后にルネサステクノロジー)の投手の上野とのツーショットです。たまたま西条のグリーンモリスホテルの近くをジョギング中にバスを见つけてホテルを访问したら元応援団长の私をソフトボールの选手等が歓迎してくれました。ちなみにこの女子ソフトボールのチームを作ったのは広岛大学出身の故佐々木威工场长(当时)でした。私も部长时代に広岛カープが胜ったときにサインをいただきに行くと无条件で押印していただける気さくな上司でした。

(2012/1/30)

写真.2007年上野投手と东広岛ホテルグリーンモリスで。


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