こんにちは、ナノデバイスバイオ融合研究所の顿1の宋航と申します。今年四月日本にやってまいりました。この场を借りて、今まで私の経験を绍介させていただきます。私は中国の重庆市で生まれました。たぶん、中国といえば、政治中心の北京と経済中心の上海しか知らないでしょうね。重庆市は中国の西南部にあり、北京や上海から结构离れたところで、直线距离は约1500?ぐらいです。飞行机で约2时间半かかります。


(重庆市の全貌)
重慶は“山城”(Mountain City)と呼ばれています。衛星写真を見れば、いろんな山脈が見えます。四川盆地はこれらの山脈に囲まれています。山のせいで、けっこう昔から、四川(三国時代の蜀)に入るのは天に登るほど難しいと言われています。唐の詩人李白はこう書きました、“蜀道之難、難於上青天”(蜀道の難きこと青天に上るよりも難し<蜀道難>)。今までも、四川か重慶に進出の陸上交通も便利とはいえません。重慶発北京までの列車は一日七本しかないです(平原部分の北京と上海の間は一日40本以上)。しかも、最も早いのも12時間かかります。ふぅ、まぁ、遠いです。

でも、その反面、山に囲まれるおかけで、歴代の戦乱にあんまり影响されていないとも言われています。噂によりますと、四川人は戦乱にあんまり心配する必要がないので、そして自然にも恵まれて、日々料理にめっちゃ取り组んでいます。ぶっちゃけ、四川料理は中国料理のなかで一番おいしいと私はずっと思っています。

(赤い四川料理たち)
&苍产蝉辫;小さなごろから、週末によく山登りとか、远足とかしています。毎日、おいしく辛い料理とか楽しく食べてきました。しかし、西南部はとても辺鄙な场所ですので、高等教育の资源は少なく、ほとんど全部北京や沿海部にあります。その上、18歳まで反抗期の私はいつも亲から离れたく、北方を见に行きたいという気持ちで、大学は天津に行きました。天津は北京の近くで、まぁ、同じく远いです。北の方に行ったら、最初の问题は、私の中国语でした。现在の标準中国语は北の方言を基にしています。そのなかに、私はマスターできなかった発音がいっぱいあります。当时、私の南方风の中国语は北の人たちにめっちゃ笑われました(いい意味で)。そして、全然北の食べ物に惯れませんでした。でも、しょうがないですので、だんだんと标準中国语もよくなっていって、食事も惯れてきました。北方に居た六年间半、私は中国の他のところも行ったりしました。最も感じたのは、中国の多様性でした。言叶も、食べ物も、习惯も违っています。たとえば、东南沿海部の言叶は完全理解不能。そして、格差も感じました。沿海部と内陆部、都会と农村。私の出身地も、都会は金持ちの人がいっぱいいますけど、まだ农村で贫困な生活をしている人も结构います。

(おじいちゃん、おばあちゃんが昔住んでいた村)
&苍产蝉辫;どうすれば人々が同じく楽しい生活を送れるだろうかと私は思っています。世界の他のところはどういう风景だろうかと思っています。そんな疑问を抱えながら、私は日本に来ました。日本に来て、最初感じたのは环境の良さ。どこでも清洁で、ごみとかは全然见えません。それが一番日本に学ぶ必要のあることだと私は思います。花见やBBQをした后、ごみは全部自分で集めて分别して捨てるのも私を感动させました。中国で、観光地とか山とかビーチとかは、连休になると、ごみが任意に捨てられています。最近は、そういうやり方は批判を浴びていますけど、まだまだです。そして、印象に残るのは日本のサービス业のやさしい店员さんです。店员みんな笑颜で、优しい声で仕事をしています。他に良いところもいっぱいありますが、まだ体験している中です。
以上、とある20代の中国内陆部出身学生の简単な地元绍介と北方体験谈と日本初印象でした。
(2015/11/11)