&苍产蝉辫;つい一昨日、北京で気が付いたことです。
北京の大学で広大留学フェアという会に参加していた際、通訳の中国人学生さんと、日本语と中国語の情報量の話になりました。彼は太宰治の小説を高校生のころから研究している学生さんで、
「文字数あたりの情報量は、中国語よりも日本语のほうが多い」との意見です。
私の理解では、过去に中国语で书かれた新闻を読んでいる方の速さを见て、文字数あたりの情报量は中国语のほうが多いでは?と思っていたので、闻き返してみると、
「文字数あたりで表现できるニュアンスが多い」、つまり含意が复数あるということのようです。
少々短络的に(理系人间的に)整理しますと、文字数あたりの自然科学的な情报量(*原则、定量化できる数値)と人文科学的な情报量(定量化できない质的なものを含む)は、言语によって异なる、と言えるのかな?と思いながら帰国しました。
认知科学分野で“非言语コミュニケーション”の研究があります。ひょっとすると、言语进化の过程で、非言语コミュニケーションの要素の占める割合が、このニュアンス量に影响する、という仮説が、すでにあるのかもしれません。情报科学分野の方々の仕事ですね。
人文科学分野の重要なテーマに関し、胜手な推察は惮れると思いつつも、
「东広岛の田园で鸣き声コミュニケーションを繰り広げる、鸟や虫さんたちの歌声を、いつか本格的に研究対象にしてみてもいいな」と、一瞬思いました。(でも、今は、「鱼」の仕事で忙しい、、、、)
岩坂正和(「鱼でつくる光デバイス」研究チーム代表)
(2018/05/29)