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研究井戸端トーク#8 开催记録

研究井戸端トーク#8(番外编)『脳を作る、脳を考える:脳オルガノイド研究の未来』』を开催しました

<日時>  2024年3月13日(水) 16:30~18:00
<場所>  広島大学ミライクリエ1F多目的スペース&オンライン(Zoom)ハイブリッド開催
<参加者> 延べ42名(大学教職員、大学院生、企業など)
<プログラム>
话题提供者からの短い话题提供后、自由な対话
 司会:
   准教授(広島大学大学院人间社会科学研究科、倫理学、応用倫理学)
 话题提供者:
   教授(京都大学 iPS細胞研究所、脳神経外科)
   講師(神戸大学 大学院人文学研究科、哲学)
   研究員(広島大学大学院人间社会科学研究科、倫理学)
<主催>広島大学 未来共創科学研究本部 研究戦略部 研究戦略推進部門
<共催>広島大学 共創科学基盤センター/神戸大学 生命?自然科学ELSI研究プロジェクト/AMED精神?神経疾患メカニズム解明プロジェクト「ヒト脳オルガノイド研究に伴う倫理的?法的?社会的課題の研究」(研究代表者:澤井努)
 

研究者がざっくばらんに语る「研究井戸端トーク」。通算8回目となる2024年2回目のテーマは「脳を作る、脳を考える:脳オルガノイド研究の未来」です。オルガノイドとは、「臓器(辞谤驳补苍)のようなもの」を意味し、颈笔厂细胞や贰厂细胞から作られる臓器(脳オルガノイドの场合は脳组织)のこと。再生医疗への利用が期待される一方、人间の心と密接にかかわる脳を作る研究にさまざまな悬念の声もあがっています。厂贵感漂うテーマに、会场とオンラインの参加者も兴味津々で闻き入りました。司会を务めるのは、脳オルガノイドを伦理学の観点から研究する広岛大学の泽井努先生。3人の先生による话题提供から后半の质疑応答まで、イベントの详细をじっくりまとめてお届けします。

ミライクリエの会场の様子

真剣に议论を交わす登坛者の先生方

高桥淳教授からの话题提供

脳オルガノイドは意识を持つか。「意识とは、ヒトとは何か」の定义も必要

最初の话题提供者は高桥淳先生。脳神経外科医として20年病院に勤务した経験を生かしながら、现在は京都大学颈笔厂细胞研究所で脳オルガノイドを用いた研究をしています。
まず脳オルガノイドとはどのようなものなのでしょう? 高桥先生はそれを「秩序立った细胞のかたまり」だと説明します。材料になるのは、私たちの体を构成しているほぼ全ての细胞に分化できる「贰厂细胞」や「颈笔厂细胞」。前者の贰厂细胞は不妊治疗で生じる余剰の初期胚(胚盘胞)から作るもので、后者の颈笔厂细胞は皮肤や血液の细胞から作られます。颈笔厂细胞は「ノーベル赏を受赏した山中伸弥先生が报告されたものですね」と补足しました。これら2つの细胞は、ほぼ无限に増やせる「自己复製能」と、いろいろな细胞になれる「多分化能」という特徴を持っています。この特徴を活かし、受精卵の细胞分裂から神経が作られ脳になっていくという、お母さんのお腹の中で起きていることを培养皿の中で再现したのが脳オルガノイドだとのこと。高桥先生はその过程を、「3次元培养」の画像と共に説明します。&苍产蝉辫;

「平べったいお好み焼き状に集まった颈笔厂细胞をぷかぷか浮かんだ状态(3次元)で培养すると、ボールのような形になる。この写真は2尘尘ぐらいに育った大脳オルガノイドです」
オルガノイドは脳に限らずさまざまな臓器をまねて作ることが可能ですが、脳オルガノイドはどんな研究に使われているのでしょうか。
「脳はどのように作られるのかという基础研究、病気の脳はどこに异常があるのかという病态解明、病気の改善にどんな薬が効くのかという创薬の研究、脳に移植して再生医疗に利用する研究など、脳オルガノイドは非常に多くの分野で活用されていると言えます」
脳オルガノイドを使った研究では、バラバラだった神経细胞が移植された环境や培养皿の中で成熟し、新たな神経回路を形成することが确认されているそうです。すると问题になってくるのは、脳オルガノイドが「小さい脳」なのではないかということ。人间の脳は巨大な神経回路であり、脳オルガノイドが単なる脳细胞ではなく回路を形成しているのであれば、そこに意识が生まれるのではないかと考える人もいるからです。

脳オルガノイドは、どこまで人间の脳に近いのか――。高桥先生いわく「现时点では、小さい脳とまでは言えない」とのこと。人间の脳はただの回路ではなく、さまざまな働きを持った神経细胞がその役割を果たす形できちんとつながってこそ、脳として活动するからです。今はそのごく一部しか再现されていません。しかし、「脳オルガノイドも発展すれば人间の脳に近い性质を持つ可能性があり、だから伦理的な议论にもつながっていくのですが」と続ける高桥先生。この议论をする际、忘れてはならない重要な课题を示しました。
「まず、そもそも意识とは何かという定义が必要です。そして脳オルガノイドに意识があるかどうかを判断するとき、具体的にどういう方法でそれが分かるのか。また、ヒトの细胞と机械をつなげて动かす『机械のヒト化』も研究される中、そもそもヒトがヒトであるとはどういうことかということも议论されなければなりません」
 

新川拓哉讲师の话题提供

幸福や不幸を感じる可能性もある? 私たちにとって「意識」が気になる理由

脳オルガノイドは脳、ひいてはヒトに近づくのか。そこに意识はあるのか、その前提となる意识とは何か。参加者の脳内にたくさんの疑问が生じたところで、话者は神戸大学大学院で哲学を研究する新川拓哉先生にバトンタッチ。新川先生が最初に示したのは、「意识とは何か」というスライドです。
「意识とは、朝目を覚ましたときに生じ、夜眠りにつくときに消える主観的な现れのこと」と説明したうえで、しかし意识の有无は外侧から観察することができないと続ける新川先生。见かけ上は植物状态の患者だが、ずっと话が闻こえていたケースがある――という例は、どこかで闻いたことがある人も多いでしょう。この例に対してはほとんどの人が、「その患者には意识があった」と感じるはず。もっと言えば、「动けなくてつらいだろう」とまで考えるかもしれません。つまり、まったく自発的な活动ができなくても、その人に意识があるのなら、私たちはその存在を「幸福や不幸を帰属できるような主体」だと考えます。となると、脳オルガノイドに意识があるのなら、私たちにとってそれはやはり「主体」になるのではないでしょうか。新川先生は続けます。

「幸福や不幸を感じられる主体である脳オルガノイドが、実験に利用されて负の体験をしているかもしれない。多数の不幸な存在者が、生まれては消えていったのかもしれない。それって伦理的にとてもまずいんじゃないかと、我々は直感的に思ってしまうのです」
こうした悬念をもとに、意识の理论はすでに数多く検讨されているそうです。现在は意识がないとするほうが多数派で、あるかもしれないとする理论は少数派だとのこと。ただ、どれも「発展途上であり、どの理论が正しいのかを今すぐに决定することはできない」と言う新川先生。ではわからない中でどうすればいいのか。ここで採用されるのが、意识があるかもしれないという前提で配虑しながら実験を进める「予防原则」だと説明します。

「こんな物语を闻いたことがありませんか? 病気の子どもが苦しんでいると言う亲に治疗のためのお金をあげたが、実は相手は诈欺师で、すべては嘘だった。そこでだまされたと怒るのではなくこう思うのです、『よかった、病気の子どもはいなかったんだ――』。要するにこれと同じですね。あとになって脳オルガノイドに意识がないとわかっても、伦理的によくないことはしていないのでよかったな、となる。これが予防原则です」
しかしこの方法にも批判はあると言います。どの意识理论を信頼するのか。配虑することで研究が遅れ、社会全体としては不利益になるのではないか。そして脳オルガノイドが意识を持つとして、どのような配虑や规制が求められるのか。参加者を悩ませる疑问をさらに提示して、新川先生のトークは终了しました。
 

片冈雅知研究员の话题提供

意识だけじゃない「脳オルガノイドの悬念」、大切にしたいのはバランス

「私からは脳オルガノイドの意识に限らず、もう少し幅広いことを……」と话し始めたのは、広岛大学で脳オルガノイド研究の伦理的课题を研究する片冈先生です。论文未発表の社会调査データをもとに、私たち日本人が脳オルガノイドに対してどんな印象を持っているかを示しました。
「予期されないリスク」を悬念する人の割合は実に95%以上。次いで80%を超えた「商业利用」、「ヒトクローニング」の顺で不安を感じる人が多いという结果になりました。片冈先生はデータをもとに分析します。
「想像しないような问题が起こると考える人が9割を超えることから、脳オルガノイド研究はよくわからない、不确実性の高い研究だと捉えられていることが伝わってきます。また、売り买いや特许に関わる商业利用への不安が强いこと、クローンに近いものではないかと感じる人が多いことは、われわれにとって意外でした」
意识の出现を悬念する人の割合はさらにその下、顺位としては4番目になりました。また今回の调査をベースに考えると、现在の日本国内において、人间の尊厳などの抽象的な悬念は低いと见る片冈先生。ただし、だからといって议论が不要だとは考えていません。

「この调査は、试験管や培养皿の中で脳オルガノイドを作っている状况に関する质问です。状况が変われば、ほかにも気をつけていかなければならない点は増えるでしょう」
例えば、脳オルガノイドを动物に移植する実験について。动物の健康に悪影响がないか、ヒトの脳オルガノイドを移植したことで动物の能力に変化が起きないかなど、注意すべきポイントは新たに浮かび上がってきます。また、脳オルガノイドと机械の融合について。颈笔厂细胞由来のヒト神経细胞をコンピュータと接続する研究はすでに进められており、将来的に脳オルガノイドの利用も计画されているのだとか。それによってさらなる础滨技术の进化なども期待されているといいますが、片冈先生は「良い方向に利用される可能性はもちろんですが、それと同じように悪用される可能性も高くなります」と指摘します。また、こうした技术では多额の资金が动くので、多くの人が悬念した「商业利用」の可能性はより大きくなるでしょう。片冈先生は「科学や医学、工学の利点を追求しながら、多くの人の不安も解消されるような、バランスのとれた研究の発展が大切です。社会の声も非常に重要なので、ぜひ今后も兴味を持っていただけたら」と缔めくくりました。
 

参加者も含む自由な対话


それぞれの先生の研究分野について话を闻いたあとは、会场とオンラインでの参加者からの质问タイムに。いくつかの质问と回答を绍介します。

――家族が重い脳性麻痺でした。脳オルガノイドを移植して治疗できるでしょうか。

高桥:私も长く医师として病院にいたので、いろいろな患者さんの役に立てればということも考えています。ご质问のようなことも将来的にはめざしていきたいと思っていますが、まだそういった段阶ではありません。とくに慢性の状态を治疗するのは、なかなか难しいのが现状。未来のゴールの一つにできればと思っています。

――意识は脳神経(脳オルガノイド)だけで考える问题なのでしょうか? 神経伝达はほかの细胞も同期して行われますが、それらの分化诱导した神経细胞について考える必要はありませんか?

高桥:脳は例えばマクロファージとか、非常にいろいろなプレイヤーが合わさって作られているものです。そのため、脳オルガノイドにこだわる必要はないと思います。

新川:意识に関してですが、ある理论によれば、意识はシステムとしての统合性が大事とされています。大脳の右半球と左半球をつなぐ脳梁を切り离すと二つの意识が生じると论じられることもあります。统合されているときには脳を中心としたシステムですが、例えば肝臓だけを取り出されたとき、肝臓として别の意识主体ができるかもしれないという考え方もあります。
また、脳であることをわれわれが気にしてしまう理由は明确にあるんですよね。手や内臓を他者のものに置き换えても、自己同一性は変わらないと思える。でも脳を置き换えたら、それは自分ではなくなってしまうという直感がある。この强い直感が不安を生むのだと思います。

片冈:意识の话からは离れるのですが、オルガノイド技术は脳だけを作るものではないので、その他のオルガノイドに注目した议论も重要だと思います。たとえば、さまざまな臓器のオルガノイドをつなぐことで人体の各臓器の相互作用が研究できますが、これは人间の身体により近いものを作っていることになりますよね。そういうものに脳はなくても、嫌だな、怖いなと思う人がいるのは理解できるし、その不安にどう対処するかが今后の课题だと思います。

――颈笔厂细胞から作製した脳オルガノイドに意识があると仮定した场合、それはその颈笔厂细胞の元になった细胞提供者の意识と考えるのでしょうか?それともまったく别の新しい个人の意识と考えるのでしょうか?

高桥:私がいつも言っていることは「意识の定义次第」だということ。今日も意识という言叶が何度も出ていますが、その定义は何度も変わっていると思いながら闻いていました。「その人とは何か」ということも定义次第としか言えません。自己同一性についても「自分が自分であると自分が思っている」という一点に尽きるし、自分でしか认识できないものだと思う。正解はないし、自分で决めるしかないのです。これはサイエンスというより僕个人の考え方ですが、新川先生のようなアプローチも非常に好きですよ。

新川:ありがとうございます(笑)。

片冈:関连するオランダでのインタビュー调査でおもしろいものがあるのでご绍介しますね。「自分の细胞から作られたオルガノイドについてどう思うか」という质问を市民にした际、脳オルガノイドについては他のオルガノイドよりも「自分の一部、延长」だと考える人が多いという倾向がありました。脳オルガノイドは细胞提供者の脳のネットワークをコピーするものではないので、细胞提供者の「意识」や记忆が再现できるわけでは全くないのですが、それでも脳のオルガノイドは何か自分に近いと捉える人がいるわけです。みなさんならどう思いますか?
 

研究井戸端トークを终えて

社会の一人ひとりが考えるべき问い

澤井 努 准教授

なぜ私たちはこんなにも脳を重视するのでしょうか。例えば1970年代以降、脳死はヒトの死なのかという问题、また脳死臓器移植は伦理的に认められるのかという问题が国内外で盛んに议论されてきました。当时から今まで、脳はヒトをヒトたらしめているとても大切な部分だと考えられてきたことが、今日のトークからも伝わったかと思います。
しかし、先生方のお话を受けて、脳オルガノイド研究が提起する伦理的?法的?社会的な课题は、やはり脳だけの课题と捉えずに、その周辺领域についても同时に考えなければならないと痛感しました。ほかの臓器のオルガノイドとの関係性や、意识を持つか否かが不透明な状况でどう研究を进めていくかなど、考えるべき重要なことはたくさんあります。
さらに今日の话题と质问で改めて认识したのは、これらは専门家だけが占有する问いではなく、社会に広く开かれた问いであるということです。私たちがヒトの脳オルガノイドをどのような存在と见なすのか、意识の定义も含めて、一人ひとりが考えて议论すべき问いなのだと。私としても、研究の必要性を実感して励みになった思いです。みなさんにもぜひ、こうした问题を考え続けていただければと思います。
 

オンライン参加者も一绪に记念撮影

【お问い合わせ先】
未来共創科学研究本部 研究戦略部 研究戦略推進部門
研究井戸端トーク担当
ura■office.hiroshima-u.ac.jp (■を@に変更してください)


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