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访问日
2018年7月20日
センパイ
1985年に総合科学部卒業後、編集プロダクション勤務の後、小学館に入社。雑誌「小学二年生」「小学六年生」「Oggi」編集部を経て、「Domani」「Precious」「MEN’s Precious」「和樂」では編集長を歴任。現職は文化事業局?エキスパートプロデューサー。
访问记

(左から)桥本记一さん(総合科学部1985年卒业)、桐木淳二さん(総合科学部1985年卒业)
桥本さんは雑誌「小学二年生」「小学六年生」「Oggi」の担当を経て、「Domani」編集長、「Precious」及び「MEN’s Precious」の創刊を手掛けた後、「和樂」編集長になりました。
桥本「私が小学馆に入った90年代は、女性ファッション雑誌が隆盛の时代で、创刊誌が多くありました。そんな时代の流れの中で何誌かの编集长をさせていただきました。时代にも恵まれましたし、人にも恵まれたと思いますね。」

桥本さんが雑誌の編集の中で特に心がけていることがあります。
桥本「どの雑誌でも、誌面をきれいに见せることと、同时にキチンと仕掛けを用意して、読者を引き付ける工夫を心がけています。
でもその両立が意外と难しい。カメラマンにとっては自分の撮ったきれいな写真を、出来るだけ大きく、そのまま载せたいと思うものですが、読者をページに引き込むためには、文章を効果的に入れなければならない。
カメラマンにとっては余计な情报を、入れないでほしいと考える场合があります。
そんな时に、誌面の美しさと読ませる仕掛けをいかに両立させていくべきかをチームの中で话し合います。」
昨今、雑誌の衰退が叫ばれ、ネット媒体の発展とともに、紙媒体は苦境を迎えています。桥本さんは、長年雑誌の編集を手掛けていく中で、紙媒体に対する強い思いを持っています。
桥本「小学馆の编集方针として、『実用であれ』ということがあります。
その本や雑誌の読者が、読み终わった后に自分の人生の中で何か新しい行动を起こせるように、誌面构成や文章を考えるという方针です。
デジタルメディアは検索性に优れていますが、一方、纸の雑誌には偶然出会う情报がたくさんあり、それが人の心を大きく揺さぶることがある。
それに今の时代、美しい印刷で誌面をつくる雑誌は本当に赘沢なメディアだと思います。
出版界が厳しい现状ですが、雑誌を読んだ人が新しい行动を起こすような出会いや気づきをしてもらうのが重要だと思っています。」

桥本さんは学生時代、広大時代は総合科学部に在籍されていました。
桥本「私が大学に入ったころは、『学际研究』という言叶が流行していました。
なので『学际研究』を全面に出した総合科学部に强い思いを持って入学しました。」
広大時代、桥本さんは、総合科学部報『飛翔』を手掛けておられました。
桥本「『飞翔』の取材で、初代総合科学部长の今堀诚二先生に取材させていただいたことは大変贵重な体験でした。
どうして総合科学部を作られたのか。そして『学际研究』の真の意味を直接伺えたのは、自分の人生の宝物となりました。」
そう語る桥本さんについて、大学時代からの親友?桐木さんが、印象的なエピソードを語ってくださいました。
桐木「大学3年生の时、约1か月间、インドにバックパック旅行にいったことがありました。
旅立つにあたって、桥本から安部公房の文庫本を手渡されました。持っていけと。
本のカバーにびっしりと桥本からのメッセージが書きこまれてたんです。
本への想いをその时に感じましたね。
その本は、今も大切に保管していますよ。」
桥本「覚えてないな~そんなことしたっけ(笑)」

(※上の写真は、大学時代に桥本さんが桐木さんに渡した安部公房の文庫本です。)

近年、映画『人生フルーツ』で脚光を浴びている元広岛大学総合科学部教授の津端修一さんと、生前にやりとりがあったことを明かしていただきました。
桥本「学生时代、都市计画の分野で着名だった津端修一先生の授业が面白くて聴讲していました。今では当たり前になっていますが、当时としては珍しかった都市菜园や、コミューター航空のこと、间伐材の有効利用等、実践的な内容でしたね。
卒论が都市计画だったこともあり、ゼミの担当教授ではなかったのですが、津端先生の教官室によく出入りして、お话を伺っていました。」
卒业后、2000年代に入って津端修一教授の着作が话题となりました。
桥本さんは出版界に身を置きながら、津端さんと再び会いたい、と思うようになったそうです。
桥本「2014年になって、津端先生との手纸のやりとりを始めたんです。
その顷、雑誌『和乐』を手掛けていて、その中でお话を伺いたいと思っていました。何度かやりとりをして、『もうじき春を迎えますね。暖かくなったら是非お会いしたいです。』とお伝えしたんですが、结局翌年に亡くなられてしまって、その思いは果たせませんでした。」
桥本さんは津端教授について、感慨深そうにこう振り返っています。
桥本「私のように他のゼミの人に対しても、分け隔てなく时间を取ってくださり、卒论についてのアドバイスもいただきました。
身に付けていらっしゃるもの全てがオシャレで、ダンディでかっこいい先生でした。」

(左から)桐木淳二さん(総合科学部1985年卒業)、桥本記一さん(総合科学部1985年卒業)、千野信浩さん(総合科学部1985年卒業)、川村(东京オフィス研修生)
研修生の感想
ご谦逊をされつつも、ご本人の仕事の根干や、学生时代の経験など、沢山のお话を伺いました。
桥本さんのお話の中で時折、『人に恵まれた』という言葉がありました。
確かにお話を伺っていく中で、錚々たる方々と出会い、繋がっていらっしゃいましたが、それは桥本さんの見識があってこそだと思いました。そして豊かな出会いがあった時には、きちんとその出会いを大事にされる方だとも感じました。
また、桐木淳二さんとの大学时代の绊がいつまでも残っているのは、とても素敌なことだと思いました。
自分も桥本さんのように、身の回りにいる大切な友人と、年をとってもいい関係でいられたらいいなと思います。