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访问日
2019年7月19日
センパイ
1995年理学部卒业
元テレビ西日本(フジ系)报道记者。911テロ取材をきっかけに独立を决意。ニュース?ドキュメント番组の制作実绩4500本。世界で活跃する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信している。その経歴から大学や公司での讲演も多い。
2005年 福岡市ビジネスプラン大賞、2010年 アントレプレナー大賞
趣味はスキー&ウェイクボード
九州大学非常勤讲师
宫崎県延冈市出身
株式会社カウテレビジョン
访问记
株式会社カウテレビジョン
代表取缔役社长 高桥 康徳 氏
(1995年 広岛大学理学部卒业)
カウテレビジョンとは?
―なぜ「カウ」(社名の「カウテレビジョン」)なのですか?
高桥:地域に爱し、爱され、というメッセージが込められています。雄牛、牝牛でいうと牝牛ですね。その土地の草を食んで、乳を出す牛になぞらえて、地域に爱し、爱されるインターネットテレビ局を作ろう、というメッセージです。
―业务内容は、公司の笔搁动画制作ですか?
高桥:そうです。自社でメディアを持って、取材した番组を公司にレンタル贷与しています。公司侧から见たら、自社の集客、採用、営业、笔搁、滨搁等をしてくれる动画制作会社、ということになると思います。
―贬笔で実绩を拝见すると、福冈がほとんどですよね。
高桥:创业10年间はずっと福冈です。2004年创业、5年前の2014年に初めて东京に支社を出しました。2004年までは、テレビ局の报道记者でした。1996年に、フジテレビ系列のテレビ西日本の福冈本社に入社し、31歳まで8年间、テレビ局の报道记者をやっていました。报道一本でしたので、事件、事故、テロ、灾害のような悲惨なことを3000本ぐらい取り上げてきたのが、私の20代でした。
その中で29才の时に9.11の同时多発テロがニューヨークで起こり、テロの4日后にフジテレビ系列から3人、现地に记者が派遣されたうちの一人が私でした。その时に人生の転机となることがあって、人の命がこんなにもはかないものであるなら、自分の命はいったい何に使うのか、ということを、29才で初めて考えました。
ジェシカさんというそのテロでご主人を亡くされたユダヤ人の女性の方から、间近でそのようなお言叶を闻いたことが大きなきっかけでした。
「私が、あなたを通じて一番伝えてほしいのは、私の身の上话でもなく、あなたも今日死ぬかもしれないのよ、と。あなたの命も今日终わるとしたら、あなたは胸を张って死ねますか、ということを、あなたというメディアマンを通じて报道してほしい」ということを言われました。
その言叶が僕の心を大きく揺さぶりまして、今日本当に自分の命が终わるとしたら、自分はこの报道记者という仕事をこれから先も続けていくんだろうかと、2年间思い悩みました。
最后の最后に行きついた答えは、「事件、事故、不祥事ではなく、ポジティブ100%な、人の背中を押すアクセルメディアになろう」と。それまで、人の足を引っ张るような报道をしてきたことを反省して。
成功したきっかけ
―事业が成功したきっかけはなんだったんですか。
高桥:一つは、妻がしっかり贮金してくれていたということですね(笑)。4年间の结婚生活で、妻が800万円贮金してくれていました。あ、これは书いていただいていいですよ(笑)。
辞めた时点で1,200万円が手元にありました。そのうち500万円だけを僕が预かって、それがゼロになった时点であきらめるからチャレンジさせてほしい、ということを妻に约束しました。残りの700万円を妻に预けて、それで2~3年、家庭のことは何とかしてくださいと。
―そこから上昇したメルクマール(※指标)のような出来事がありますか?
高桥:独立した时は、ビジネス戦略とか経営戦略とかそういうものはほぼなくて、「ポジティブ100%」という合言叶しかありませんでした。実际やっていたのは、テレビ局の下请けです。でも、半年间一生悬命働いて42万円しか稼げませんでした。その现実を见た时にこのままいくと、この独立は失败する、と考えました。
そこで初めて、経営の勉强を始め、その时出会ったのが「伟大ゾーン」という考え方です。円を叁つ书いて、「自分がしたいこと」「ライバルに胜てること」「市场があること」の重なったところが、あなたの天职ですよ、と教えられました。
「自分がしたいこと」は、ポジティブ100%のドキュメンタリーを作ることでした。「ライバルに胜てること」は、当时インターネットの动画が生まれたばかりの黎明期でしたので、ここなら胜てると。それから、「市场があること」を考えた时に、奇しくも、2005年2月1日のカウテレビジョン立上げと同じ月に、日本で驰翱鲍罢鲍叠贰がローンチ(※立上げ)しているんです。インターネット动画がこれからはやるぞ、という机运に満ちた时期でした。そこに自分の伟大ゾーンがあるぞと。インターネットの动画、特にドキュメンタリーでいくぞ、というところに至りました。
そこから、インターネットテレビ局を持つ、ドキュメンタリーに特化する、テレビ局の仕事を一切やめる、ということを彻底的にやっていきました。
―その时期にはユーチューバ―もいなければ、驰翱鲍罢鲍叠贰を见る习惯もないですよね。その时に、福冈の地元の元気な公司に、理解されましたか?
高桥:いいえ、理解されませんでしたね。弊社のコンテンツに「社长室101」という対谈番组がありまして、现在570社程度ご出演いただいています。全国のなんらかの业种、业界で一番、もしくは地域で一番の方と対谈させていただく番组を、无料で作っていて、私たちは「社会贡献番组」と呼んでいます。
世の中の経営者たちが、何を考え、どのような苦労をし、どうやって狈翱.1の地位に上がってきたのかということを、40分程度の対谈番组にさせていただいています。私たちにとっては、このコンテンツは名刺代わりです。経営者にとってみると、自分の人生が1本のビデオになるのは初めての経験なので、结构エポックメイキングなことになるんです。
これが相手の头の中に残るんです。それからニュースレターを送ったり、年に1度程度ご挨拶をする、というコミュニケーションをとるなかで、5社に1社から依頼が舞い込むようになりました。
ピエトロの社长からの一言
―会社のお金が回り始めたのは、いつごろですか。
高桥:福冈で一部上场のピエトロさんから、「あんたからとってもらったインタビューがえらい评判がいいんよ。あのインタビューを、うちがたのホームページに入れたいから、売ってくれんね?」と言われたのが、安定期に向かうきっかけでした。自分たちがタダで相手に勉强させていただくという気持ちで作っていたものが、相手の会社のバリューアップにつながっている、ということが分かったんね。
ただし、このコンテンツは、我々にとっては自分の子供みたいなものなので、「子どもを売ってくれ」といわれて「はいそうですか」と応じてしまうのは何か违うんじゃないか、ということで、着作権レンタルという、権利をレンタルするビジネスモデルが生まれました。
―2007年に法人化、ピエトロの社长から「使わしてくれんね」と言われたのがその年の暮れ顷。そこでようやく食べていくやり方が见えてきたということですか。
高桥:そうですね、2005年9月に福冈市でステップアップ大赏というビジネスコンテストの大赏をいただきました。その时の审査员に、地元の経営者たちがずらりと并んでいて、この方々から単発のお仕事をいただいていくことになりました。着作権をレンタルするとか、动画による公司PRが採用に効果があるということに気付いたのが、2007年の暮れごろからです。
―最初の资金は、おそらくその顷はギリギリですよね。
高桥:そうですね。ただし、その顷はあまりお金を使わなかったですね。オフィスも自宅にありましたし、移动手段はすべて自転车でした。タイヤの横のプチプチをいかにすり减らすかということを考えていましたね(笑)。
今、力を入れていること
―今は、「伟大ゾーン」の3つの竞争力で言うと、どういう状况ですか。
高桥:当面数年間は、地方の有力中堅企業への採用支援に力を入れています。本当に人気のあるB to Cの企業なら、入社希望者はガンガン集まります。ですが、辺縁部とかB to Bの企業は、学生さんから目につかない。いい会社なのに人がこない、という現象が全国で起きています。中堅企業がどうすれば学生と出会えるのか、企業価値をきちんと伝えることができるのかというところに、フォーカスをあてています。
―今は动画はツールであって、ソリューションとしては必ずしも动画を使わない?
高桥:おっしゃるとおりです。今は福冈県内の50社ぐらいの公司に「あいのりインターンシップ」という、学生がはしごしていくようなインターンシップのプロデュースもやっています。全国初の试みで、地元では大きく报道されています。
通常のインターンシップは、人気公司ばかりに学生が集まってしまいますが、我々は复数の公司を横でつないで、异なる公司を学生が一日ごとにはしごしていく仕组みを运用しています。それを、弊社で动画を利用されている公司を中心にアフターサービスとして実施することにより、単なる动画屋さんではなく、本当に公司が学生に出会える「コト」のところを评価してもらえるようになります。
―(あいのりに组み込まれた)人気公司からクレームがでませんか。
高桥:でません。人気公司にとっても、未知の学生に出会えるメリットがあるからです。上场している人気食品メーカーでいうと、地元の优秀な国公立の女性は集まるのですが、体育会系やシステム系はぜんぜん応募してこないんです。でも、そこの人材はほしい。ところが公司イメージがあるので、どうしても応募学生が偏ります。
あいのり型にすると、雑多な学生が応募してくるので、公司にとっても学生にとっても未知との遭遇が起きる、という声が寄せられていて、リピートが非常に多いです。
―これは何で思いついたんですか。
高桥:前职のテレビ局のアナウンサー採用がヒントです。
フジテレビ系列のアナウンサーというのは、1万人ぐらい志望者が集まって、最终选考で30人から50人ぐらい残ります。実はそこにからくりがあって、フジテレビから全国の系列局のアナウンサー部长に声がかかって、オブザーバーとして见学するんです。そのアナウンス部长が、自分の気になった学生に「もしフジテレビが最终でダメになったら、うちの最终选考から受けさせてあげるよ」と声をかけるのです。そうやって、フジテレビで採用されなかった学生が全国に飞び散っていって、アナウンサーになるというのが、当时のやり方でした。
これを縦の助け合いだとするなら、横にバタンと倒して、地域の有力公司とそれ以外の公司の横の助け合いにできるんじゃないか、というのが、発想の根干です。
あのタレントも所属!「ボルケーノ」创设
―学生时代のお话をお伺いできますか。
高桥:理学部化学科の出身ですが、アンガールズを生んだサークルを作ったのが私です。
大学2年の时に作った、「ボルケーノ」というサークルがそれです。新入生の册子を作ったり、広岛の游びスポットの案内を作ったりする、イベント、情报企画サークルですね。私が初代ですが、5年目に入ってきたのが、広岛大学の田中卓志さんと、広岛修道大学の山根良顕さんでした。実はあと二人いたんですが、その4人の仲良しグループが卒业后东京に出て行って、长いの二人がくっついてアンガールズになりました。サークルがなかったら、彼ら二人はおそらく出会っていなかったと思います。
オーストラリアでの、人生を変えた出会い
―叁年から四年生のときに休学してオーストラリアにワーキングホリデーに行かれたということですが、そのきっかけは何だったんですか?
高桥:大学3年の时に、サガくんという2つ后辈の学生がサークルに入ってきました。中高の6年间をデトロイトで过ごしたという、いわゆる帰国子女なんですが、そのサガくんは、まったく礼仪正しくないんだけど海外で身につけた言叶遣いやセンスがすごく魅力的で、「海外に出ておかなきゃいけない!」とインスパイアされたのです。
―彼のどういうところが魅力にみえたんですか。
高桥:相手が先辈だろうとものおじせずに意见を言う、自分の考えをきちんと述べるというところが、ものすごく衝撃的でした。海外で我々の知らない世界をいろいろ见てきているので、闻く话、闻く话が面白いというのもありましたね。
ベンチャー公司みたいなサークル(=ボルケーノ)を立ち上げていく时というのは、积极的に意见する人间とか、行动力がある人间が头角を现していくわけですよ。彼は3代目の代表になりましたし。
私は私で、彼の影响で行ったオーストラリアで、テレビマンと出会ってテレビ局を志望することになるわけです。
本当に一人一人との出会いで人生が変わっていくんですね。今、いろいろな大学で授业を持っていますが、タイトルは「出会いと决断」です。人生は「谁と出会い、何を决断するか」によってこんなに変わるんだ、という话をしています。
大切にしていること、大切にしてほしいこと
―大切にしていらっしゃることがあれば、お闻かせください。
高桥:これまで「価値を伝える」としていた公司理念を、2019年6月に「いい人生、いい社会」に変えました。一人一人の社员が、いい人生でありたいと愿うこと、単に自分さえよければいいのではなくて、いい人生を通じていい社会に贡献していきたいと、そういうことがうまく成立して初めて社会が回っていく、と信じています。そのような部队として、カウテレビジョンという会社が存続していきたいと思っています。
―今后の事业は东京に広げていくのでしょうか。
高桥:东京に出てきてから5年経ちますが、福冈における実绩が通用するのは、オール九州の中でしかない、そういうことには、东京に出てきて気がつきます。最新の社会情势を见る、感じるのは、东京でやりたいのですが、困っている公司は地方に多いので、本业を拡大するのは九州ですね。
―広大の学生に伝えておきたいことはありますか。
高桥:僕は、テレビ局に就职活动をする时も、大学を休学する时も、周りから反対されました。みなさんは、自分を信じて贯いていく尊さ、自分を磨くことの必要性を信じてやってほしいです。梦だけ追いかけていてもだめだし、自分をひたすら磨いていても発挥する场所がない。磨くことと発挥することは、両轮であるべきだと思います。
私はテレビ局を、根拠なき「絶対受かる」という自信を持って受けて、でも広岛の5局から全部落とされました。その后福冈、熊本の局からたまたま拾われましたけど、ダメだったら来年もう一度受け直すぐらいの覚悟でした。人生を决めるのは自分なので、そこはぜひブレークスルーしてほしいと思います。
―自分を磨く、というのは具体的にはどういうことですか。
高桥:出会いと决断だと思います。人生を変えるのは、谁かと出会うこと。そこから刺激を受けて、人生の大きな决断をするという瞬间が、谁しもあると思います。大学时代こそ、自由市场の中で、谁とも出会えて、谁とでも交流を结ぶことができる、一番自由な时间だと思います。
―出会いをうまく活かす、経験値のようなものがありますか。
高桥:出会いは镜なので、自分に似た人が寄ってきます。类は友を呼ぶ、の法则ですね。
「明、元、素(めい、げん、そ)」というんですが、明るく、元気で、素直なこと。明るいというのは、単に表情が明るいということではなくて、考え方が明るいということです。壁にぶつかった时に、できない理由を熟考する人よりも、一つできる方法を考えることができることを、明るい思考、と呼んでいます。元気というのは、会った瞬间に分かりますけど、もらう人か、吸い取られる人か、ですね。素直、は行动です。いいと思ったらすぐやる、悪いと思ったらすぐやめる。素直とは行动、行动は本音、ということです。
この「明、元、素」を自分自身が心がけていけば、そういう人たちが周りに集まってくると信じています。
(左から)松永州央氏(1990年法学部卒业)、千野信浩氏(1985年総合科学部卒业)、
高橋康徳氏(1995年理学部卒业)、
長谷川(东京オフィス所長)、北池(东京オフィス)