麻豆AV

子供として,孙を抱くまで,时代をつなぐホンダの车

私の人生のほとんどはホンダ车で守られていた。偶然にも不思议なご縁だと思う。

○青年期まで
物心ついたときには父亲が运転する「ホンダ狈360」に乗っていた。

9号线を鸟取市内から东伯町(现琴浦町)まで、祖父が作るスイカやとうもろこし,いろいろな野菜をもらいに往復していた。

多分重量オーバーしていたのではないかと思うくらいである。亲の指示どおり,スイカをひざに,足元にと最悪ではあったが,アップダウンがある道をエンジンのホンダと言われるからか,力强く,长くお世话になった。父亲もかわいかったのか,普通车に乗り换えたらという声もあるなか,ディーラーがさすがにと言われるまでずっと乗っていた(笑)。

○青春の1ページ

私が免许を取って,初めて运転したのが広岛。その时の车は,ご縁もあって先辈から安く譲っていただいた「ホンダアコード」。田舎の鸟取ですら运転したことないのに,いきなり大都会広岛でと无谋なことをしましたが,车が守ってくれました(笑)。初めて好きな方を车に乗せたのがこの车でした。

○家族をもって

东京暮らしから岛へ転居,お世话になったのは,「ホンダトゥデイ」。岛の中の狭い道を移动するにはと,小回りが利く,私専用车で快适な岛生活を送りました。

○子供が大きくなって

スポーツをするための移动などで大型车が必要となり,「ホンダステップワゴン」に切り替えて生活。いろいろな物を詰め込めて,寝ることもできる,キャンプには最高の车でした。

○子供たちが成人して

家族がそれぞれ自由に移动できるように,私と娘たちは「ホンダ狈奥骋」,妻は「ホンダフィット」自宅に计3台。赘沢な话です。

○孙ができて

孙がうまれ,私の运転で长男家族を近くの駅まで迎えにいくことになりました。その时の车は「ホンダ狈奥骋」。
私の父からすれば,ひ孙までがホンダの车にお世话になるとは思っていなかったと思います。

○余谈
島から山へ転居して25年,知り合いつながりでホンダカーズ広島 呉西中央店にお世話になっており,そこの元店長曰く,子供は広大工学部を目指していますとのこと,なんのご縁か,ここまできたら同窓生としてお世話できたらと思っています(笑)。

(広島大学職員 匿名希望)


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