
Vol.24 「逆境をバネにして」
名前: 佐藤 駿介
所属: 工学部第四類社会基盤環境工学プログラム 4年
戸田工业株式会社様によるご支援により、広岛大学短期交换留学(贬鲍厂础)プログラムへ参加。
グラーツ大学(オーストリア)へ2023年1月~2023年7月まで留学。
派遣先大学について
グラーツ大学 (正式名称: Karl Franzens Universit?t Graz) は、シュタイアーマルク州の州都グラーツにある国立大学です。オーストリア国内では2番目に古く、規模も大きい大学です。学部は6つあり、人文科学、カトリック神学、自然科学、法学、社会?経済科学、環境?地域?教育科学です。多くの授業が英語で行われ、また、別学部や近くにある別大学(工科大学、音楽大学など)の授業を一部受けることができるシステムも存在します。有料ですが、プレセメスター(学期前)では毎日、セメスター(学期)では毎週、言語学習の授業が提供されており、その数なんと10か国語以上です。また、大学が提供するスポーツの有料授業もあり、手ごろな価格で様々な種類の授業が受けられます。
キャンパスの施设は、全体的にカトリックの影响を受けている建物が多いですが、一部近代的なデザインの建物もあり、见ているだけで楽しくなります。
また、地理的にヨーロッパのほぼ中央にあり、 実に様々な国の学生が在学、交換留学をしているため、留学生へのサポートが手厚いことが特徴です。特に、私が活用した留学生支援制度は、タンデムパートナーシップと ESN (Erasmus Student Network)です。これらの制度については、以下で詳しく触れようと思います。
グラーツ大学は、自分の兴味とやる気次第で、可能性を広げられる大学です。
授业で学んだこと
私は、広島大学では工学部第4類で土木の勉強をしていますが、グラーツ大学では 全く異なる分野である社会学部に所属しました。プレセメスターではドイツ語インテンシブ A1(言語) を、セメスター中は環境社会学、オーストリア社会、 データ処理とエージング、 国際関係論入門、 マーケティング入門 、英語中級B1(言語) を勉強しました。日本で言うところの「文系」の学問は、普段している「理系」の勉強とは全く違っていて、良い経験になりました。
普段私がしている勉强では、どちらかというと答えが决まっているものを计算で求めることが多いです。社会に出れば、答えは一つではないし考えなければならない条件は山ほど出てくると思いますが、计算が间违っていては安全な桥もダムもトンネルも完成しないので、计算そのものは正しいというゆるぎない前提があるように思います。
しかし、私が文系科目を半年勉強して感じたことは、「人の考え方や価値観によって、計算自体が正解にも不正解にもなりうる」ということです。 私は、今まで物事を判断するときに理論立てて考えるようにしていたので、自分自身は絶対正しいのだと思う傾向にありました。根拠もなく自分が正しいと言ったことはありませんが、今改めて考えてみると、その「根拠」自体は自分の価値観によるものだったと思われます。
グラーツ大学では、国际関係论や种々の社会学を通じて、様々なイデオロギーや理论的枠组を学习しました。完全に理解できたわけではありませんが、世界には様々な価値観を持った人がいるので、善悪を判断するのは非常に难しく、必ずしも「客観的」な考え方が正しいとは言えず、相手の立场になって主観的に考えることも重要であると感じました。また自分の専门分野だけしか见られないような人にはなりたくないと强く思いました。様々なことが复雑に络まってできている世界なので、すべてを考虑することは困难ですが、それでも视野を広く持ち、いろいろな観点から物事を考えられるようになりたいと思いました。

英语力向上のために
留学の主な目的は英语学习でしたので、できる限り英语を话す机会を作るように努めました。というのも、オーストリアはドイツ语が公用语なので、何も考えずにただ过ごしていると、日常生活で英语を使う机会をそれほど持てないのです。そこで、私はタンデムパートナーシップや英语の授业、贰厂狈が主催するイベントを积极的に活用しました。
&濒迟;タンデムパートナーシップについて&驳迟;
日本语を勉強したいオーストリアの学生と、英語を学習したい私とを大学がマッチングし、互いに言語学習の機会を持つことができました。これによって定期的に英語を話す機会ができ、仲良くなることもでき、二人でいろいろなところに行ったり 、日常生活で困ったことがあれば手助けしてくれました。タンデムは、私の留学の充実度を非常に高めてくれるものとなりました。また、日本语を教えることの難しさも体感しました。日本语のニュアンスをそのまま英語にできないフレーズ、例えば「お疲れ様です」や「よろしくお願いします」は、その場ですぐにその意味を完璧に説明することができず、シチュエーションを説明するに留まり、帰宅してからもう一度説明の仕方を考えました。普段何気なく使っているものについて改めて考えて、それを英語で説明するという、貴重な経験をすることができました。
&濒迟;英语の授业について&驳迟;
英語のクラスでは、私が最年少でした。50代、60代のオーストリアの方もおられました。何歳になっても向上心のある姿勢に感銘を受けました。私が受けた授業のレベルはB1で、中級レベルでしたが、私の話す英語が最も拙く、逆にグラマーのテストは最も高かったことが、一番ショックでした。私の話す英語の拙さから、同じグループのある一人の生徒は私とのコミュニケーションには消極的になったと感じましたが、この経験が糧となり、もっと喋られるように練習しようと思え、また逆に日本语を喋ろうとしている外国人に対してもっと優しくなりたいと思えました。
&濒迟;贰厂狈の活动について&驳迟;
贰厂狈は1989年に始まる、ヨーロッパを中心とした40か国以上约35万人の大学生が加盟する学生団体で、支部ごとに様々な交流イベントを开催しています。これに参加することで新たな友达の轮ができ、様々な国の学生と交流できました。第二言语としての英语を话す人が大多数なので、この国の英语が闻き取りづらいということも経験できました。同じように日本人の话す英语は闻き取りづらいと思っている人もいたと思いますが、皆しっかりと话を闻いてくれて、闻き取れないところは闻き返してくれ、自信をもっていいよと言ってくれたおかげで、ゆっくりでも臆さずに话すことに惯れていきました。
日本人は间违うことを恐れ、また间违った人のことをバッシングする倾向にあったり、ジャパングリッシュと揶揄することもあります。ここで私が思ったのは、そこまで自分たちの英语を卑下することはないということです。本家のイギリス英语があり、それ以外は広い意味では同じ派生英语だと思うようになると、アメリカ英语とインド英语が认められて日本英语は认められないのは少し不平等だと感じてしまいます。英语は意思伝达の手段であって、もちろん闻き取りやすいに越したことはないですが、多少のアクセントやイントネーションの违いは间违いとは言い切れない、むしろアイデンティティとして色々な国の人の话す英语を闻き取れるような人になりたいと思いました。「伝わりやすい(≒正しい)」英语を勉强することはとても大事ですが、间违うことを恐れて使わなければ全く进歩はなく、また间违いを过度に批判することは絶対にあってはならないと思いました。
寮生活を通しての异文化理解
私は共同寮で5か国6人の学生と生活をしていました。スペイン、アルゼンチン、トルコ、ブータン、日本と、国际色豊かな部屋だったと思います。6人での共同生活は、楽しいこともたくさんありました。例えば、それぞれの国の料理を作って、5か国の料理を囲んだ食事会はめったにできることではないですし、6人で山へハイキングに行ったことも忘れられない思い出です。
ただ、文化が违うということは、それだけお互いを尊重しないと问题は色々と出てきます。例えば、6人中3人はパーティー文化があり他の3人にはない场合、お互いを理解して尊重しあわないと皆が嫌な気分になってしまいます。
私が一番苦労したのは、パーティーを含めて、「相手の気持ちを察する」という文化があまりないことでした。日本人はよく空気を読んだり、相手の表情やしぐさから相手を察したりしますが、それは文化が违えば当たり前のことではないですし、そもそも文化が违うとたとえ察しようとしても难しいこともあるかもしれません。私は、文化も価値観も违う世界において自分の感覚をものさしにしていたと反省し、そこからはみんなとコミュニケーションをとってお互いが妥协し合って気持ちよく过ごせるようにしました。彼らにとっては大事な交流の场であるパーティー(彼らが言うにはパーティーではなくただの食事という感覚の违いも面白かったです)も、私の生活も両方大切にするため、深夜0时以降はパーティールームに移动するということで合意しました。
どれだけ自分の当たり前だったとしても、それを言叶でちゃんと伝えること、そして认め合うことが重要だと改めて思いました。色々な问题とぶつかってきたからか、彼らと最后に别れるときは自然と涙が出てきました。
留学を振り返って
この半年间で私は本当に様々なことを学びました。国际関係やオーストリア社会などの授业を通じて、また色々な国の人と関わる中で、私が思い描いていた素晴らしい日本と、世界から见た様々な面での日本の现状とのギャップにショックを受けて、留学5か月目ごろからずっとモヤモヤしていました。知れば知るほどその沟が大きくなり、日本の将来に不安を感じたこともありました。
そんな中、半年ほど距离を置いていた本来の私の専门である土木を思い出しました。日本の土木は不可能を可能にしてきた、世界に夸れるものの一つだということに改めて気づきました。
私は将来、日本の土木技术を使って発展途上国のインフラに贡献したいと考えています。そこでは海外の発注者、ゼネコン、下请け会社、地元住民など、色々な人との関わりがあると思います。大切なことは、その土地の自然条件や経済的な条件だけではなく、文化や価値観を考虑して、言叶を使ってコミュニケーションをとることだと思います。そうすることで、真に必要とされるインフラが分かり、地元住民に长く爱されるものになると思います。このような世界への贡献を通じて、少しずつ私の抱いているギャップを埋めていき、今よりももっと日本をもっと好きになることができると考えています。
寄付者へのお礼
自分の长らくの梦だった留学を実现し、贰鲍近隣国での観光もでき、大きな学びを得、かけがえのない友人と出会うことができました。おかげさまで経済的负担を軽减することができ、留学に集中することができました。
寄付をくださった方、そして事务的な手続きをしてくださった方々など、すべての皆様に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

グラーツのシンボル 时计台

Grüner See (グリュナーゼー= 緑の湖)
(2024年2月取材/基金室)