麻豆AV

沿革

昭和20年
2月
広岛県立医学専门学校(広岛市皆実町)及び附属医院(広岛市水主町)の设立が认可された
4月 広岛県立広岛病院が附属医院として移管された
8月 原子爆弾により校舎及び附属医院が全焼した
12月 学校、附属医院を広岛県贺茂郡安浦町の旧安浦海兵団跡に移転
昭和22年
2月
呉市立市民病院(呉市公园通)と呉市立呉病院(呉市阿贺町原)を県営に移管し、それぞれ附属医院本院、附属医院阿贺分院とした
11月 呉市警固屋町に附属医院音戸分院を开设
昭和23年
3月
附属医院本院を呉市広町の広共済病院跡に移転し、本院跡を二河分院とした
4月 広岛県立医科大学(旧制)开学、同附属医院となった
昭和25年
12月
二河分院を闭锁
昭和27年
4月
広岛医科大学(新制)开学、同附属病院となった
昭和28年
8月
広岛大学医学部设置。広岛医科大学(新制)は年次移管により合併されることになった
昭和31年
4月
広岛医科大学附属病院(本院、阿贺分院、音戸分院)が国に移管され、広岛大学医学部附属病院となった
11月 音戸分院を廃止
昭和32年
4月
附属病院分院(呉市)を设置
9月 阿贺分院を廃止
10月 医学部附属病院(460床)を広岛市霞町に、呉分院(50床)を呉市広町に开设した
昭和37年
4月
アメリカ政府の资金援助による新病栋の使用を开始した
4月 呉分院を本院に统合のため廃止
昭和40年
4月
広岛大学歯学部设置
昭和41年
1月
中央诊疗栋の使用を开始した
5月 新病栋(増设)及び看护妇宿舎の使用を开始した
昭和42年
6月
歯学部附属病院设置
9月 医学部附属病院の歯科を廃止。歯学部附属病院が外来栋第1期工事完成に伴い诊疗开始
昭和43年
3月
医学部附属病院东病栋(8阶建て)の使用を开始。これにより新病栋を西病栋と改称した
3月 歯学部附属病院の20床を医学部附属病院东病栋に移転
昭和44年
3月
歯学部附属病院の病床を40床に増床
昭和53年
4月
医学部附属病院外来栋、第1中央诊疗栋の使用を开始
昭和59年
4月
歯学部附属病院の病栋を础栋に移転
平成2年
4月
医学部附属病院惭搁滨-颁罢装置栋の使用を开始
平成6年
8月
特定机能病院に承认された
平成15年
1月
医学部附属病院の入院栋(地上10阶?地下1阶、700床)が开院
10月 医学部附属病院と歯学部附属病院を統合し、広岛大学病院となる
平成16年
4月
国立大学法人広岛大学となる
平成17年
2月
日本医疗机能评価机构から认定を受けた
4月 高度救命救急センターを设置
平成18年
8月
都道府県がん诊疗连携拠点病院に指定
11月 东広岛キャンパスに歯科诊疗所を开设
平成22年
3月
日本医疗机能评価机构の病院机能评価惫别谤.6.0の认定を取得
平成23年
3月
レジデントハウス「梁山泊」完成
3月 东日本大震灾?福岛原発事故で紧急被ばく医疗チームを派遣
8月 病床数を740床から746床に増床
9月 北病栋を入院栋に移転
平成25年
2月
小児がん拠点病院に指定
5月 広岛県の委託によるドクターヘリの运航を开始
9月 医科と歯科の外来を统合した诊疗栋(地上5阶?地下1阶)が开院
平成27年
2月
日本医療機能評価機構の病院機能評価(一般病院2 3rdG:Ver.1.0)の認定を取得
3月 広岛大学病院ファミリーハウス完成
11月 てんかん诊疗拠点机関に指定
平成28年
4月
福岛の医疗体制构筑协力のため福岛医疗支援センターを设置。10月から本院医师が出向し、福岛復兴支援に协力
平成30年
10月
驰贬搁笔ミュージアム开馆
平成31年
2月
アレルギー疾患医疗拠点病院に指定
4月 难病诊疗连携拠点病院に指定
令和元年
9月
がんゲノム医疗拠点病院に指定
令和3年
1月
ジャパン インターナショナル ホスピタルズ(JIH)の推奨を受けた
3月 日本医療機能評価機構の病院機能評価(一般病院3 3rdG:Ver.2.0)の認定を取得
3月 歯科诊疗所を廃止
5月 病床数を746床から742床に変更
令和4年
6月
外国人患者受入れ医疗机関认証制度(闯惭滨笔)に认証された


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