
平和を希求する生物学とやら
氏名:安井 金也
専攻:生物科学専攻
职阶:教授
専门分野:
略歴:1953年生まれ。千叶大学园芸学部卒业。京都大学大学院理学研究科博士后期课程修了。鹿児岛大学歯学部助教授、熊本大学発生医学研究センター助教授を経て现在に至る。専门は动物の进化史と発生。着书に「ナメクジウオ-头索动物の生物学-」东京大学出版会がある。
私がはじめて雑誌?漫画?教科书以外の本を読んだのは、たぶん二十歳のころでした。それから人生があらぬ方向に回り出したように思います。
高校までの学校の授业は嫌いではなかったのですが、积极的に勉强したわけではありません。大学で学ぶという意识がなかった私は、当然、社会に出ました。残念ながら、それから知ることの楽しさがじわじわと私を袭ってきたのでした。结果として、気がついたら大学に入り、大学院に入っていました。人生は本当に分からないものです。
もともと私はかなりあまのじゃくなので、みんながワーとやることは絶対やりませんでした。大学院は一番浮世离れしている学问はないかと考えたあげく、人类学に出会いました。人类学は私たちヒトを直接学ぶ学问で、文化人类学と自然人类学があります。文化系は苦手だったので、自然人类学を选びました。「自然人类学って何だ?」と思うでしょう。それほど浮世离れしているわけです。つまり、ヒトがどのようにして地球に出现して、今日のようになったかを研究する学问です。何でも“起源”が好きな私は、アフリカの国に行って人类の起源につながる化石を探しました。それが縁でアフリカ大好き人间になってしまいました。
こんな人间が何で海の生物を研究する临海実験所で働いているのと、いぶかしく思われると想像します。こんな人间でも临海実験所で働ける、そこが広岛大学の太っ腹なところでしょう。実は起源が好きな私は、ヒトの起源を调べているうちに、それを知るためには哺乳类の起源、それを知るためには背骨のある脊椎动物の起源、さらには、それを知るためには脊椎动物の特异性を调べなければならないと思うようになったのです。気がついたら、海にすんでいるナメクジウオという动物が研究材料でした。普通は、思っても手を出すまでにはいかないものですが、私はついつい手を出してしまいます。こういうのをわれわれ学者の业界用语では、“何でも屋”と、“専门家”に対して少し軽蔑っぽく定义されます。
人类から始まった私の生物探求は、尽きることがありません。生物には本当にいつも惊かされます。ヒトだけの知识から他の脊椎动物の世界にはいると、うれしくなるほどの非常识です(本当はヒトという动物のからだが非常识なのですが)。そして、脊椎动物の知识から背骨のない动物、これがこの世の动物のほとんどです、の世界に踏み入れると失神するほどに非常识な世界です。今いる动物でこれです。これに歴史の时间轴を入れなくてはなりません。生物学には雑学も重要だ、いや、生物学は雑学だと思っています。それにしても、人间のなんと无力なことよ。谦虚であらねばならないといつも思います。
ときどき「私の研究は何の役に立つのですか」と若い学生さんから闻かれます。人様の役に立つことは大変大事なことです。医疗技术や产业技术に直结した研究は、确かに目に见えて社会の役に立ちそうです。しかし、自然现象、特に复雑な生物现象は常に断片的に利用されるのが现実です。そして、必ず予期せぬマイナスの効果が现れます。そんなとき、いろいろな目で一つひとつの生物利用活动を见ることが大事になると思います。そのためにも生物から教えてもらうことがいっぱいあります。生物学のこのような役割は、技术革新に直结するハードな生物学に対して、ソフトな生物学と私は考えています。
できるならば、生物学を学び推进する人々が、人间の社会システムの根本を揺さぶるだけの存在になってほしいと愿っています。広岛大学の建学の精神は「自由で平和な一つの大学」、建学の理念の最初に「平和を希求する精神」が掲げられています。すばらしいことです。生物学から平和を创造する细胞が増殖することを愿っています。
やっぱり人类学から临海実験所には结びつかないという人は、直接话しに来てください。もちろん、自分を锻えてから。