かばちたれの行き着いたところ
氏名:三好 隆博
専攻:物理科学専攻
职阶:助教
専门:分野プラズマ理论、シミュレーション
略歴:助教。博士(理学)。広岛大学理学部卒业、広岛大学大学院理学研究科博士课程后期修了。日本原子力研究所博士研究员を経て现在に至る。専门はプラズマ物理学の理论?シミュレーション研究。妻1人、子供3人。趣味は家族とのおでかけ(だが、最近はあまりない)。人からは子烦悩と思われている。爱妻家を自称。
はじめて自分の意思で手に入れた本は、「学研まんがひみつシリーズ」の栄えある第1巻「宇宙のひみつ」でした。小学1年生のときでしたが、どうしてその本が欲しかったのかは覚えていません。その后、色々な百科事典の「宇宙」の巻だけを次々に买い求めるようになります。亲に本をねだる过程で、かばちをたれるな!と怒られながら、屁理屈の技术を磨いていきました。宇宙の话の中でも特に、ブラックホールおもしろい!アインシュタインすごい!となりました。アインシュタインの伝记を読むと微分积分学を独学で修めたとあり、中学生のころには负けずに微分积分学(の初歩の初歩の初歩のさわり)を勉强したりしました。研究や学者というものに縁もゆかりもなく、全く何者かはわかっていませんでしたが、何となくこういうことをやっていきたいなと思ったのはこのころです。そうこうするうちに、兴味は数学に移っていきました。高校生のころには、复素空间と信じる纸模型を作って満足したりもしていました。正误はともかく(误りだったわけですが)、今より奇想天外なオリジナリティーはあったかもしれません。その后、微分积分を使うと力学の公式を忘れてもよいことを知り、物理が好きになっていきました。
结局、大学では物理を勉强することに决め、広岛大学理学部物性学科に入学しました。理屈の好きな(手先の不器用さを强く自覚する)私は、西川恭二教授の理论研究室に进み、核融合理论研究センターで研究することを目标としました。目标に向かって日々励んだかどうかについては秘密ですが、核融合理论センターがまるごと核融合科学研究所に移管されることを全く知らず、研究室の配属先を决める际にこのことを知り焦りました。が、ともかく予定どおり西川研究室もぐりこむことに成功しました。母には、大学でまで屁理屈を学んでくれるな、と嘆かれましたが、屁はつかない!と正论でかわします。西川研究室では、プラズマの理论?シミュレーション研究をはじめ、流体理论やカオス理论、固体理论など様々な理论的研究が行われていました。私は、プラズマ理论研究の専门家である草野完也先生に直接ご指导いただき、卒业研究として太阳フレア(太阳での爆発现象)に関する理论的研究を行いました。おお!これが小さいときにあこがれていた宇宙の研究か!という気持ちもありましたが、あれ?なんか他のひとの研究も计算の仕方は似たような感じだぞ?と思ったりもしました。その后、本格的に研究を开始するため大学院に进みます。このときは、太阳风とよばれる太阳から喷出するプラズマの流れと木星の周りの电磁気的な环境との相互作用に関するシミュレーション研究を行いました。小学生のときに狈贬碍の「パノラマ太阳系」で见ていた木星をこの自分が!とうれしがったり、修士论文研究中に木星にシューメーカー?レビー彗星が衝突して研究対象がなくなるかもと悲しがったり(嘘。天体望远镜をのぞいて楽しみました)しました。研究そのものは想像以上に大変でしたが、草野先生の的确なアドバイスのおかげで、修士论文、博士论文ともなんとかまとめあげることができました。
博士の学位を取得した后、日本原子力研究所那珂研究所に博士研究员として採用され、职业研究者となりました。那珂研究所は热核融合に関する研究所で、私の大学入学当初の目标どおりの进路ではあります。ここでは、学生时代に苦労した経験を生かし、核融合プラズマのシミュレーション手法开発に苦労することになります。このとき既に激しい宇宙プラズマの研究に惯れきった身と心には、精密で静かな核融合プラズマの研究に多少の戸惑いをもっていました。本当に苦労しました。でも、やはり计算の仕方は同じようなもの(微妙な违いが私を苦しめるのですが)なんですけどね。3年间の在籍期间でお给料をもらいながら多くの知识や思考方法を学ぶことができ、非常に大きな财产となりました。结婚もできました。その后、母校の広岛大学大学院理学研究科に尝础狈担当助手として採用していただき、日々の教育?研究にいそしみつつ、新しい何かを画策したりしています。
研究者になって本当に色々な人と接することができました。でも、やはりどの研究者も似たようなとこがあるぞと思います。かばちたれ(屁理屈屋)の方々、どうぞ自信をもって研究者を目指してください。