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第20回 理学研究科 教授 楯 真一先生

写真:楯先生

わかる実感 わかる喜び ~生体分子の「ゆらぎ」を追い求めて~

取材実施日:2015年6月22日
第20回先生訪問は、理学研究科 数理分子生命理学専攻 生命理学講座 楯 真一(たて しんいち)教授にお話を伺いました。

Profile
1985年 東京大学 薬学部 卒業
1989年 東京大学大学院 薬学系研究科博士課程 単位取得後退学
1989年4月1日~1992年12月31日 (財)東京都臨床医学総合研究所 1993年1月1日~1999年3月31日 東京都立大学 理学部 化学科
1999年4月1日~2002年3月31日 北陸先端科学技術大学院大学 新素材センター
2002年4月1日~2006年9月30日 技術研究組合 生物分子工学研究所
2006年4月1日~ 広島大学大学院理学研究科 数理分子生命理学専攻

研究内容―生命现象を「ゆらぎ」でとらえなおす

私は狈惭搁(核磁気共鸣)分光学という分野で、生体分子构造の「ゆらぎ」がいかに机能制御に関わっているかということについて研究しています。研究対象は、タンパク质です。生命现象を担うタンパク质が、生物机能を発现する过程で、その构造「ゆらぎ」にどのような役割があるのかに兴味を持っています。
タンパク質は、ポリペプチドと呼ばれる一本の紐状の分子が規則正しく折りたたまったものです。(※下図)タンパク質分子は、 溶液の中では一つの形を保っているわけではなく、水分子との衝突や熱のために最安定構造の周辺でふわふわと揺れているのです。これまでの多くのタンパク質構造研究は、タンパク質を結晶化し、最安定構造で停止した状態の立体構造を明らかにしてきました。しかし、止まっている状態の立体構造を見るだけでは、タンパク質分子が持つ特徴の一側面しか見えてきません。実際に、数多くのタンパク質立体構造データが集積された現在では、いくらタンパク質の高分解能立体構造が分かっても、タンパク質分子がどのように働くかまでは分からないという問題が認識され始めています。
クラゲのように縦横无尽に形态変化するのとは违って、タンパク质构造は特定の规则性を持って「ゆらぎ」ます。タンパク质の立体构造によって规定される构造の「ゆらぎ」は、タンパク质の机能制御にも関わっています。多くのタンパク质の构造研究は、结晶构造を解くことに留まっており、タンパク质分子构造がもつもう一つの侧面である「ゆらぎ」がもつ机能上の役割については、いまだに研究途上にあります。タンパク质构造の「ゆらぎ」を狈惭搁分光学(强力な磁场中で観测される原子核から信号を検出してタンパク质の构造を解析する方法)を駆使して解析することで、これまで分からなかったタンパク质构造の「ゆらぎ」による机能制御机构を発见し、医薬品の开発などに役立つような研究を目指しています。

図:タンパク質

研究者としての道を选んだ理由―これまでの研究に纳得いかなかった

私は薬学部出身なのですが、実は薬学に関心があったわけではありません。教养学部一年生のとき、生体分子を分子分光学で解析するという研究の绍介を「ブルーバックス」(※1)で読んで、生物を化学や物理の手法を使って研究するという融合领域的な研究に大変兴味をもちました。その研究をされている教授の研究室へ入ろうと思い、薬学部に进学しようと决めました。また当时の东京大学では、薬学部がもっとも异分野融合研究をしており、そのことも薬学部へ进学した理由です。
薬学部进学前には、驹场で量子化学を専门とされる先生が指导されていた轮読会(※2)に参加し、分子分光学の基础を勉强する良い机会を得ました。轮読会では、数行の数式、あるいは一つの概念を理解するために友人たちと议论し、彻底的に考え抜きました。この経験は、自ら考えること、考え抜くことの楽しさを教えてくれ、私にとって非常に大きな意味を持っています。また、この先生のおかげで教养部一年生の时から分子分光学の実験をやる机会を得ました。特殊な装置で取得したスペクトルを解析するためには、解析に必要となるプログラムを自分で作成する必要があったため、この研究をきっかけとしてプログラミング技术も独习しました。
当时の薬学修士课程修了生は、あまり労せずに大手の製薬会社にも就职できた时代でしたから、博士课程に进学する人は多くありませんでした。私も修士课程の间は、进学するなんて露ほども考えませんでした。しかし、修士课程を终える顷になり、それまでやってきた研究にどうしても纳得がいかなくて、思い描いた研究もできないまま社会に出ても、ずっと中途半端な気持ちを抱えることになるだろうと思い、博士课程へ进学することにしました。
(※1)讲谈社が刊行している新书で、自然科学全般の话题を専门家ではない一般読者向けに解説?启蒙しているシリーズである。1963年に创刊され、2013年时点でシリーズの数は1800点を超える。
(※2)人々が集まって、同じテキストを読み、その内容について意见を交わす勉强会のこと

写真:楯先生の研究室の装置

研究者として大切なことー自分の研究を批判的に见る

「自分は何を突き詰めて考えるべきか」という问题意识を持ち、研究することの意味をきちんと説明できること、自分の研究に责任を持つこと…。つまり研究者として大切な资质は、自分がやっている研究を批判的に见る能力です。
教養学部時代に、上記の指導をして下さった先生がこのような話をしていました。「研究者として土壇場まで追い込まれて、最後の最後崖っぷちに立たされたとき、これだけは絶対に“わかっている”ということが一つあれば、君は研究者としてやっていける」。当時は何のことか分からなかったし、研究者として「崖っぷち」とはどういう状況なのかも全然理解できませんでした。研究者となった現在、研究者としての立場や専門性が厳しく問われる状況になったとき、私はNMRの専門家としてこれだけは “わかっている”といえるものを持っていることが研究を進めるうえで大きな拠り所になることを幾度も経験してきて、当時先生の言わんとされたことがよく分かるようになりました。
また、时代に合わせた研究スタイルの确立、これも研究者として大事なことだと思います。研究のスケールがどんどん大きくなっている现在では、违う専门分野の研究者と组むことが多くなってきています。私自身若いころは、研究者は独立独歩で専门を突き詰めていくものというイメージを持っていました。しかし、求められる研究のスケールが大きく変化した现代にあっては、个人の能力のみで完结できる研究だけでは不十分であり、様々な専门を持つ研究者とアイディアを共有して、一绪に研究を深化させるというスタイルが必要です。そのためにも、自分の持つ専门性には磨きをかけ、自分の力だけでは到达できない大きなビジョンに向かって确実にメンバーの一人として贡献できる能力が必要だと思います。

指导方针―「わかった」ときの喜びを感じてほしい

研究者としての自分にとって、教养学部时代の轮読会は大きな影响を与えました。物事を突き詰めて考えた后に「わかった」という喜びを得ることができた経験は、现在の学生たちにも実感してほしいと思います。しかし最近の学生さんは、あまり本を読まないですよね。私达の学生时代には、一行の数式を理解するために友人たちと彻底的に议论したり、図书馆に笼ってほかの文献をもとに粘り强く考えたりしていました。しかし、今はすぐにインターネットでそれらしい内容を见つけることで、分かった気になってしまうようです。当然、何がわかったか説明しようとしてもうまく説明できない???。结局、时代も违うためか、思ったような研究指导ができませんでした。
そこで情报が豊富であるならば、理论を学ぶよりも、むしろ実践から入って目标を达成できた时の喜びを感じてもらうことを优先する指导方针をとることにしました。具体的な研究を进める过程で遭遇する细々とした问题を一つ一つ解决する経験を重ねることで、研究することの喜びを感じてもらえればいいと思ったのです。
このような経験を积み重ねて、一つの研究が完结して振り返ったときに、学生が、なぜあの时あのような指导をされたのかが分かれば十分だと思っています。研究することの楽しさがもっと研究したいという気持ちに変わって、自ら勉强し、より难しい问题を考えたり、研究手法を工夫してくれるようになることを期待しているわけです。

写真:楯先生

博士課程進学を考える学生へのメッセージ- リスクと責任を背負うこと

もちろん、研究に兴味があるから博士课程に进学するというのは大事なことです。しかし研究者になりたいから博士课程に进学するというのは短络的だと思います。博士课程への进学は「リスクを负う选択」でもあるので、どこかでリスクを背负うだけの研究に対する思いが上回っていればいいですが、一过性の研究への兴味から博士课程へ行こうと思うなら、私は勧めません。
「リスクを负う选択」についてですが、研究者を続けていると二进も叁进もいかなくなる时が几度もあります。私自身は、前职で勤めていた研究所が闭锁されてしまい、それまで积み上げた研究を全て停止しなくてはならない状况を経験しています。幸运にも、広岛大学で研究室を持つ机会が得られたため、大変な时间のロスはあったものの、热心な広岛大学生の协力のおかげで现在は再び研究を展开できる状况になっています。ここまで极端ではなくとも、研究者生命が试されるような状况は他の先生方も多かれ少なかれ経験しているはずです。现在活跃されている先生方は、それぞれに困难を乗り越えて研究者としての梦を実现しているのです。逆に、このような困难を乗り越えることで、研究者としても人间としても成长できるようにも思います。リスクを粮として乗り切るくらいの研究に対する思い入れや気概がなければ研究者としてはやっていけません。
博士课程を修了したのちに、研究者として40年近く暮らすことになるわけですから、40年间で何を研究したいのかを真剣に考え、具体的に答えが出せなくても、こういう研究の方向で世の中の役に立てるとか、こういう分野なら他の研究者と违う独创的なことができるという思いを持つことも、研究者をめざすうえでは必要ではないかと思います。
博士课程を出れば研究者になれるわけでもありません。研究者をめざすつもりであれば、学部学生など早い时期から自分が本当は何をやりたいのかを真剣に考えておくべきではないでしょうか。そのためにも、学生时代には何か一つにこだわりをもって彻底的に取り组んでほしいと思っています。

取材者:加川すみれ(文学研究科 人文学専攻 日本?中国文学語学分野 博士課程前期1年)
 


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