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研究者への轨跡

ありがちな话

氏名:伊藤 賢太郎     

専攻:数理分子生命理学専攻

职名:助教

専门分野:非线形科学

略歴:昭和55年东京生まれ。
东京工业大学理学部物理学科卒业、
北海道大学大学院理学研究科数学専攻博士课程修了。理学博士。
北海道大学电子科学研究所博士研究员を経て、平成21年9月より现职。

 

高校叁年生の夏の昼下がり、东京の古本屋の薄暗がりの中に私は居ました。その时分、同级生たちは予备校で受験対策に精を出していたことでしょう。両亲も、私が予备校に通っているものと勘违いしていたようです。ですが、私は古本屋に居ました。进路を决めるためです。自分は何になるべきなのか、その决断を先延ばしにして、大学に进学することには抵抗がありました。幼少より、皆が青を选べば赤を选び、皆が右へ行けば左に行くような気质だった私は、この时间帯に古本屋に居るのが自分だけだという事実に、ひとまず満足感を覚えました。作戦の第一段阶は成功だ、と思いました。第二段阶の作戦は、「何か、読もう」という程度のことしか考えていませんでしたが、自分は行きあたりばったりが好きなんだ、と纳得していました。行き当たりばったりがそんなに好きなら、进路を适当に决めてしまっても良さそうなものですが、「面白そうなものに出会う确率」が最大値をとるような进路を探していたのかもしれません。
 

数日の间にいろいろな本を読みました。博物学の本に绍介されている珍奇なものたちは私の好奇心を刺激しましたが、それを生业にしようとは思えませんでした。膨大な図鑑の项目を一つ一つ埋めていくような気の长い研究は、自分の性分には合わないことがわかっていたからです。そんな私を魅了した本は、物理学の本でした、といえば、话がわかりやすいのですが、そのとき私が一番魅かれた本は、困ったことに錬金术の话でした。かいつまんで言うと、详しい手顺は秘中の秘だが、贤者の石というものを作るとどんなことでも可能で、金を作る程度のことは朝饭前、という话です。明らかに、眉唾ものの理论ですが、その万能性が私の目には魅力的に移りました。また、全うな人达は见向きもしない分野であることもプラスに働きました。これは、いうまでもなく天の邪鬼な性格に起因するものです。
 

錬金术师を目指すべく本を読み进めていった私ですが、すぐに壁に突き当たりました。秘术ゆえ具体的な手顺は秘密で、代わりに妙な文言やら象徴的な絵で表现されているらしいのです。これでは、検証の仕様がありません。また、不満は他にもありました。だいたい、こんな何世纪も前の手法に乗っ取らなくても、现代の科学をもってすれば、もっとスマートな方法があるのではないか。また、仮によくわからない手続きの结果凄いものができたとして、それで何を理解したことになるのか。こう、考えていくうちに、现代の科学では何が正しいとされているのか、どこまでが科学者の共通认识なのかを自分が全くわかっていないことに気づきました。「ここまでは、间违いない」という足场がなくては、実験结果の真偽を判定することもできなければ、新しい理论を组み立てることもできません。
 

ここに至って、私は、自分は凄い时代に生きているのではないか、と考えだしました。何世纪も前の錬金术师达にとっては想像もつかなかったであろう実験器具や、明らかにされた数々の物理法则、共有されてる膨大な研究结果があるのです。そうとわかれば、もうこんな胡散臭い本に用はありません。私は、人々に门戸が开かれた体系的な学问であり、现代人の多くが正しいと认めつつも、多くの人がほとんど理解をしていない「科学」という世界に足を踏み入れることにしました。
 

内省から结论を导いたような内容になってしまったので、少しまともなことを书いておくと、理学部に进もうと决心させたのは、高校の物理の授业が楽しかったというのが、大きな要因です。私の通っていた高校では、物理の滝川という先生が、実験色の强い授业を行っていました。和気あいあいと楽しみながらやっていた记忆が残っています。他への迷いを断って、全力で自然科学をやりたいという潜在的な欲求に诱导されて、大层な御託で头でっかちだった自分を説得しようと试みていたのが、数ヶ月の古书店巡りだったのだと思います。
 

おしまい


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