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研究者への轨跡

どうして研究者になったの?研究者になるって何をするの?

氏名:藤原 昌夫

専攻:数理分子生命理学専攻

职阶:助教

専门分野:物理化学

略歴:东京大学理学部卒业、东京大学大学院理学系研究科博士课程修了、理学博士。広岛大学理学部助手、ドイツコンスタンツ大学客员研究员、冈崎国立共同研究机构分子科学研究所助手を経験。日本化学会に所属。研究対象は、クロロフィルの轴配位子コアサイズ相関振动、分子内部束缚回転振动相互作用、电子励起断热ポテンシャル曲面の解离ダイナミクスについて、理论と分光测定、それに、分子集合体の磁気配向统计分布、水和イオン集団の磁気移动统计ミクロ构造について、理论と観测で、多彩。

 

小さな子供の顷から
私は、自然现象がなぜ起こるのか不思议で、思いを巡らすのが好きな子でした。物事の原理が分かると、とても嬉しい気持ちになりました。人间の心では计り知れない自然の姿に美しさを感じ、纯粋の科学に惹かれていました。中学、高校と学年が进むにつれ、それまで知らなかった数学や物理の概念について、理解するのが楽しみになりました。そこで、大学は理学部を目指しました。
 

化学は数学それとも生物
大学では、理科系の学部で何を学ぶのでしょうか。私が大学一年生だったとき、生物の授业では化学を、化学の授业では物理を、物理の授业では数学を、そして、数学の授业では哲学を勉强すると囁かれました。この言い方は、ある意味で的を射ています。つまり、高校とは违う観点から学问の基础を学びます。ここで、たくさんの人が怯え、たじろぎます。私自身もその一人でした。
よく言われることですが、大学は勉強を教わる所でなく、自分で勉強する所です。授業にだけ出席したのでは、講義の中身がなかなか理解できません。自分で日本语や英語の書物を読んで、授業の内容がはっきり分かるようになります。戸惑う人が多いのは、高校で与えられる勉強に慣れて、自分で努力しないからです。私の場合、授業期間中はいつも実験のレポートに追われていたので、自由な時間のある夏休みに、授業のとき読めなかった書物を読み通して、しっかり勉強したのを覚えています。
 

クロロフィル(叶緑素)といっしょに
大学院では、授業の内容は高度でもっと難しくなります。講義を理解するためには、専門書を読まなくてはなりません。日本语の文献が見つからなくて、英語の文献を探し回ることも度々です。でも、大丈夫です。幸いにも、大学院生はすべて研究室に所属して、それぞれ何か研究に携わっているので、自分の研究に繋がりのある講義は、きちんと勉強できます。私もそうでした。
この顷から、未知への研究が始まります。私のテーマは、植物の叶っぱの中で大事な役割を演じる分子、そう、光合成を担うクロロフィル(叶緑素)についての分光学でした。毎日、何をどれだけ行うか自分で决めて、自分なりの流仪で、自分の目标に向かって进んでいきました。研究と言っても、暗闇の中を歩いた訳ではありません。ただ、実験が思うように行かなかったり、结果の解釈が分からなかったりして、半年も一年も悩んだことはあります。谁も知らない内容で、どの文献にも载ってないので、仕方なかったのです。
 

日本の学会で评価されなくても
研究成果を日本の学会で発表したときは、耳を倾けて関心を示してくれる人は、あまりいませんでした。仅かですが、仕事に热心な先生が、真面目に闻いてくださったのが救いでした。ところが、自慢するようで嫌なのですが、その内容を研究论文にして学术誌に投稿して、大きな反响を呼んだことがあります。この论文は、私の学位论文の一部です。アメリカ化学会の雑誌に掲载されると、后の论文に百回以上引用されました。
高い评価を得たのは、それが新しい报告だからです。世界の研究者は、新しい発表を素直に受け入れてくれます。日本の研究者は、学会で発表を闻いても価値を认めなかったのに、外国の评価を知ると态度を変えて赏賛するから、不思议です。自分の研究が自分一人の造作でなく、世界の舞台で认められたと知ったとき、嬉しさは言叶に表せないものがあります。研究者の喜びでしょう。
私は、自由な発想に基づいて、自由な研究のできる场で、大学院生时代を过ごしました。そこで、后続の研究者に道标となる足跡を残せたのは、私の研究生活の幕开けにとって幸せなことでした。この研究は、学位を取得して大学院を修了すると、止めざるを得なくなりました。
 

研究者一年生で
研究者として大学に就职すると、色々な出来事が待ち构えていました。人间模様も様々です。少し前は、年配の先生が、若者を阴湿にいじめるのが常でした。最近は、我侭な先生が、自分の意见に合わない若者を威吓して、研究室から追い出してしまう倾向が见受けられます。今后も、こういうことは起こるでしょう。私は、研究室の実験装置を使わせてもらえなかった时期があります。そのときは、隣の研究室の先生にお愿いして、その研究室の実験装置を使わせていただきました。そうするより外には、手立てがありませんでした。そうしなければ、研究手段は纸と铅笔しか无かったのです。
就职先の研究室によっては、学生のときと研究内容が変わってしまうことがあります。それも、以前とは全く别の内容です。研究室の方针だからです。研究者一年生に戻って、自分の知らない研究分野を勉强しなければなりません。频繁に、研究内容が変更されることもあります。何度も、研究者一年生を経験します。このようなとき、私は、现在の学会の方向では、将来の発展が见込まれないので致し方ないと、自分に言い闻かせて諦めました。今までたくさんの労力と长い时间を费やして、やっと研究を轨道に乗せたのにと考えると、残念で悔しくて思い切れませんから???。
それより、方向転换した研究分野の中で、自分の研究についてだけは、第一人者になるよう顽张ることが大切です。他人を真似て、二番手になり下がってはなりません。自分の研究に、第叁者に认められる新しい価値を筑くことです。それが、研究者として生きていく道だと思います。


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