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研究者への轨跡

研究者への轨跡

氏名:坂元 国望

専攻:数理分子生命理学専攻

职阶:教授

専门分野:

略歴:

 

小学生の顷は、将来大工になって鶏を饲いながら农业を営みたいと、漠然と思っていた。小学校6年生のとき、担任の先生がクラス全员を図书室に连れて行って、好きな本を选んで1时间読书するように指示して、何処かへ出かけていった。それまで学校の図书室を利用したことがなかったので、なるべく字が少なく写真入りの大きな本を探して読み始めた。その本の书名も着者名も忘れたが、それは天文学についての解説书だった。この本が面白く兴味深かったので、その日に借り出してじっくりと読んだ。この本をきっかけに、天文学や天体物理?物理?化学に関する启蒙书を何册か読んだと思う。これらの本はできる限り数式は用いないでも理解できるように书かれてあったと思うが、必要最小限の简単な数式は使われていて、それらの数式の意味が理解できないのが気になって仕方なく、今度は数学の启蒙书を読み始めた。
 

中学生になると科学の启蒙书や科学者の伝记を読みながら、数学の専门书を訳も判らず眺めたりしていた。私が学んだ中学校の図书室には、何故か判らないが、旧字体で书かれた数学の専门书が沢山あった。それらの本を眺めながら、将来は数学を研究したいと思うようになり、高校は昭和50年代に各県に设置された理数科に进学して、大学は理学部数学科に入学した。
 

大学时代は、どちらかというと、クラブ活动にエネルギーを费やしたが、大学院入试直前に猛勉强して何とか数学科の大学院に合格できた。大学院に入学したら、周囲の同级生が皆私とは比べようもなく优秀に思えて、このままでは将来が危ういと危机感に袭われた。そこで考え付いたのが、海外脱出である。修士の学生时にセミナーで使っていた教科书の着者の元に留学しようと思い、指导教官に申し出たら、快く绍介状を书いて下さった。そして、指导教官の指导教官、すなわち、大先生の下に私を连れて行って、事情を説明して下さった。大先生曰く「いくんやったら、学位とって来い。腰掛のつもりやったら、行かんほうがええ。」すかさず、直立不动で「必ず学位を取ってきます。」と返事をしたら、「ほんなら、绍介状をかいたるわ。」この2通の绍介状で、先方の受け入れが决定した。当时の大学教授は、风格?贯禄?影响力?実力が备わっていた、と今思う。后はアメリカの大学院入学资格试験と英语の试験(トーフル)に合格すればよい。これにも何とか合格した。退路を断って前へ进むしかなくなると、思いもよらない力が出るものである。今でも、何故英语の试験の点数が留学先の大学が指定する最低基準を超えられたのか、理由がわからない。试験を受けた実感としては、殆どできなかったと言うのが正直なところである。学费も生活费も留学先大学が负担するということで、申し分のない条件で留学が実现することになった。渡航费だけは、父亲に头を下げて、出して貰った。理由は判らなくとも、合格して愿ってもない条件で受け入れてもらえるのだから、あとは大きな颜をして行くだけである。1984年7月に渡米。
 

?〆切期限を过ぎていて一刻も早くこの原稿を提出しなければならないので、1984年?1992年までに付いては日を改めて书きます。?


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